命の手紙 43(皇紀弐千六百七十七年八月十七日)

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つづきです。

☐昔話
 の第三弾

☐シベリア抑留
(宝徳)←父です  昨日までの記事は、毎日新聞の記事です。
 今は明治150年。父、ホウトクギイチは113歳だ。息子の佳男はこの年まで生きているかもしれないことを思えば、父は生きていると考えてもいいのではないか。

(前頁)本文左段2行目~「旧満州(現中国東北部)でソ連軍に捕まりシベリアで抑留されたとあるが、一般的に「捕まる」とは『とらえられる』を意味する。

 「捕まる」とはなんだ。ホウトクギイチはドロボーではない。ソ連軍の捕虜になりシベリアに拉致(抑留ではない)されたと書くのが本質だ。

【広辞苑】拉致‐むりに連れていくこと
※抑留も拉致と同じ意味を持つが、この場合、らち をとるほうがソ連軍の蛮行への実感が沸く。

 60万人も己の医師に逆らって連れていかれ(拉致)、死者は6万人弱と聞く。  つづく



 

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このページは、宝徳 健が2017年8月17日 01:51に書いたブログ記事です。

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