パラダイムシフト 新・未來日本昔話 五(皇紀弐千六百七十七年八月二十二日 七)

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 時は、2108年。國民の愚かさにより、日本がつぶれてしまつたといふ設定です。おばあちゃんと孫のまさるくんがそれを論じてゐます。

ま「あ~、ご飯美味しかった。お風呂も氣持ち良かつた~」
お「おやおや、ずいぶん、すつきりした顔をしてゐるね~(笑)」

ま「ルーズベルトは考へたアメリカを最大限活気づけた時代はどうだつたか までだつたね」
お「さうだね」
ま「それは、インディアン戰爭、メキシコ戰爭、米西戰爭だつたんだ。すべて戰爭でアメリカは大きく富み、拡大したんだ。だから戰爭をしないとだめだといふのら愚かなるルーズベルト結論だったんだ」

お「でも、ルーズベルトは戰爭をしないと何度も選擧戰で公約していた」
ま「さすが、おばあちゃん。そこでルーズベルトは二つの手段を講じたんだ」

お「ドイツと日本だね」
ま「そう、まずはドイツを挑發した。ドイツの敵である英國に、駆逐艦を貸与した。そのた貸与した駆逐艦と同型のアメリカ駆逐艦を遊弋させ、どいつのUボートに沈めさせたんだ」
お「それぢやあ、アメリカ人も死んでしまうね」
ま「そうそう、アメリカ人は平氣でそういふことをやるからね。これはまたあとで眞珠彎でも出てくるから。それよりも、第一次大戰のときも、同じことをやって、アメリカはそれを大義に參戰したんだ。でも、今囘は、米國民は反應しなかつたんだ。だから、日本を挑發して戰爭に引きずり込んだんだよ。當時の無能は政府首腦部と山本五十六の作戰失敗があつて、日本は敗けてしまつたんだ。アメリカは結果として、想像以上の好景気を生んだんだ」

お「さうだね。戰後1948年にアメリカGDPは戰前の最盛期に戻ったね。日本の教科書で嘘を教えていたニューディール政策はルーズベルトが大統領に就任した1933~1936年だから、ニューディール政策で經濟が再生したわけではなかったんだね」

ま「うん。大恐慌のときに25%に落ち込んだ失業率も戻り、それからはGDPが年率3%で上がり続け、なんと1948年から1973年までの25年間もそれが続いたんだ」

お「ということは、複利で計算するとGDPは倍になるね」

ま「そうなんだ。でも、この1973年がピークでそれからは、アメリカは財政と貿易収支が赤字に転落していくの。双子の赤字だね。ニクソン政權のときはもうにっちもさっちもいかず、ついに沖縄を日本に賣ることになつたんだ。そして、ニクソン・ショックが起きる」

お「そうだねえ。あんなに欲しかった沖縄をあんなに簡單に返したからね。戰爭で失った領土は戰爭でしか取り戻すことはできないと云はれてゐるけど、經濟で取り戻すこともできるんだね」

ま「ソ連崩壊の時の日本の政治家はそれをしなかつた。萬死に値するね。」
お「まさる、おばあちゃん、眠たくなっちゃった。明日の晩御飯が終わってからまた話をしやうよ。」
ま「うん、僕も朝早いから」

お「朝ご飯は、食べておいきよ。まさるの大好きなゴマサバがあるよ」
ま「わーい。おばあちゃん、おやすみなさい」
お「はい、おやすみなさい」

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このページは、宝徳 健が2017年8月22日 08:39に書いたブログ記事です。

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