どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再61(皇紀弐千六百七十七年十月十八日 參)

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 仁の玉を持つのが、小文吾の妹、ぬいの子。犬江親兵衛だということがわかりました。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠:犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶんご) 行徳の旅籠屋の息子
 小文吾は、犠牲になった房八の首を信乃の首として村長に届けました。旅籠屋の主人は釈放されました。

 でも、偽首が露見しないでもありません。ヽ大法師の従者が、ぬいの姑とまだ小さい、犬江親兵衛と旅籠屋の主人とともん、安房の国に行くことになりました。

 他の者は、残りの玉を持つ三人を探しに行くことになりました。えっ、ふたりじゃないかって?
 犬山道節のことは額蔵(犬川荘助)しか知りません。まだ信乃たちは知りません。だから、三人です。

 さて、ヽ大法師の従者や姑さんが安房に向かう途中、悪者どもに襲われました。そのとき、とつぜん黒雲が沸き起こり、その雲が降りてきたと思うや、犬江親兵衛を包んで、天高く巻き上っていったのです。

 さあ、犬江親兵衛の運命やいかに。つづく。

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このページは、宝徳 健が2017年10月18日 05:54に書いたブログ記事です。

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