事上磨錬(皇紀弐千六百七十七年十一月二十九日)

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 體調はかなり囘復してはきていますが、やはり、あれだけの事故ですし、3週間程度入院もしました。手術もしました。いくら氣力があつても、やはり軆體は大切にしなければなりません。體力もまだ囘復してゐませんし、何と言ってももう二度と人に迷惑をかけることをしてはいけません。
 
 「整えて、深く探って、強く引き出す」と云ふ私が重視してゐるテーマを確かに實現してゐくためにも、まずは體調をきちんと整へます。これは、何も今だけではありません。完全囘復してからもずっとです。

 ゆっくりと確実に。そして力強く。あと二十年仕事をするために。

 さて、昨日紹介した私の夢の中に「事上磨錬 じじょうまれん」といふ言葉がありました。何人かの方から質問を受けましたので解説します。陽明學の言葉です。
 王陽明は、どんなに偉そうに修行を積んでも、それが實践の場で使はれなければ何の意味もないと云ひました。それた眞の學問だとも。

 「事上」:實際のことに當たりながら
 「磨錬」:練り磨く

です。大學で云ふところの「良知」を實現させるために必要なことです。

 今囘、退院にあたって、SWさんから、「まずは、第一歩、退院おめでとうございます。あせらず、ゆっくり養生してくださいね。あと、奥さまに感謝し言いつけをお守りください( ^^) 」といふメッセージをいただきました。「言いつけを守らないと汗」と返したら「そうそう、口ごたえもいけませんよ。良知発露のときです」「うっ」といふ會話が續きました。

 守れていない汗、汗、汗。

 かういふ小さなことから事上磨錬をしませんとね・・・・・。良知はまた今度解説します。

偉らさうに 理屈述べても 軆につかぬ 小さなひとつを まず整へて

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このページは、宝徳 健が2017年11月29日 04:45に書いたブログ記事です。

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