命の手紙 37(皇紀弐千六百七十七年八月一日 参)

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海軍のつづきです。終戰まぢかですね。
 寢るところがないので、私たちの分隊(200人)は道後国民学校が宿舎となった。bathは道後温泉だ。海軍は風呂とは言わない。バス(英語)。

※国民学校:昭和16年から小学校は名前が変わった。

 完全武装(20㎏はある)して銃を担いで1萬メートルを走る競争の選手になった。我がチームは優勝。ゴールインしたときは口から泡を吹いた。それ行けとバス(風呂)に走ったが、表彰式に間に合わなくてさんざん油を搾られた。

 海軍は軍艦に乗り戦うが、飛行科は空で戦う。陸戦隊といって横須賀・呉・佐世保・舞鶴に陸で戦う部隊があった。 つづく

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このページは、宝徳 健が2017年8月 1日 10:00に書いたブログ記事です。

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