戰國策 35(皇紀弐千六百七十七年十月三日 四)

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 前回までの話には、あるエピソードがあり ます。今回は、それを書きます。有名な言葉に「奇貨、居くべし」というものがあります。
 他国に人質に出されていた子楚をみたときに、呂不韋が、「奇貨、居くべし」(掘り出し物だ、買っておこう)と叫んだことは有名です。
 さて、この子楚が後の荘襄王(そうじょうおう)です。そしてその子供が秦の始皇帝です。
 始皇帝は、呂不韋の子供ではないかという歴史的スキャンダルがあるのです。
 始皇帝の母は、はじめ、呂不韋の女でした。それを子楚が見初め、呂不韋は、子楚にその女を提供します。この女が生んだのが始皇帝です。呂不韋が子楚に女を提供したときに、もうすでに、女には呂不韋の子供を身ごもっていたという説があります。
 始皇帝は、荘襄王が三年で死ぬと即位し、呂不韋は引き続き宰相として重きをなしました。また、呂不韋は、荘襄王の死後、その夫人、つまり昔の自分の女 で、今の太后と密通していました。呂不韋は、始皇帝が成長するにつれ、心配になり、自分の代わりに、ある男を太后に与え、太后は、この男の子供まで生みま す。
 やがてこのことは始皇帝の耳に入り、取調べの結果、この男は処刑され、呂不韋もそれに連座して宰相の地位を免じられました。呂不韋はその後、失意のうちに毒を飲んで死にました。

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このページは、宝徳 健が2017年10月 3日 07:55に書いたブログ記事です。

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