命の手紙 58(皇紀弐千六百七十七年十月十一日 六)

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☐宝徳 卓の思い出 つづき
 地域では、草野球の審判員を務めていて、硬式審判員の試験に2度目にパスして、定年後の"仕事"にしていた。

 この"仕事"は大変で、草野球のある日は土曜か日曜だから休む暇がない。

 その日も"仕事"が終わり、帰宅して、入浴、ビールを飲み、食事、就寝。そのまま帰らぬ人となった。就寝中の「脳内出血」だという。74歳。

 葬儀の日、ボクは自分が呼ばれ焼香したことは覚えているが、弔電の披露など聞いた記憶がない。葬儀のときの模様を覚えていない。記憶は全く抜け落ちている。一時記憶が喪失したのかもしれない。

 10月10日は彼の誕生日。この日は上岬(うえみさき)小学校の同窓会の日だったそうで、出発のためにいろいろな準備が整えてあったらしい。昨年七回忌を済ませた。

 ボクは、「弟たちに学問を身につけさせることができず済まなかった」と思っているが、卓と治は「兄貴(ボク)は、ボクたちを養うために大学に行かなかった」と言っている。  つづく

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このページは、宝徳 健が2017年10月11日 14:34に書いたブログ記事です。

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