つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十七年十一月十四日)

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 今、選擧中ですね。 どの政党も「この國」と云ひます。

 ・・・・・・・。「我が國」と云へよ。「この國」では、なんか第三者のやうに冷めた目で見てゐる表現になります。司馬遼太郎にも「この國のかたち」といふ著作があります。がつくりきます。

 けふの産經新聞に、長谷川三千子先生が投稿されてゐました。この方は素敵ですね。惚れてゐます(長谷川先生は迷惑でせうが(笑))。タイトルは、

改憲こそが「立憲主義」の道理だ

です。私がいつも、このブログで書いてゐる憲法と憲法典の違ひをご理解いただいてゐれば、これが常識だと云ふですよね。今の

日本國憲法は、違憲なんです。立憲主義に反してゐるんです。

 繰り返しますが、死者に鞭打つつもりは毛頭ありません。

 残業で亡くなった髙橋さんのお母さんの人相がどんどん惡くなつてゐると感じてゐるのは。

 この労働法規では、國が潰れてしまひます。

 私は出光興産に十九年間勤めてゐましたが、会社のために働いたことは一度もありません。出光佐三店主もそんなことは求めてゐません。天下國家のために働いていれば、残業などといふくだらない概念などは、出てきません。、「働いて働いて働きぬけ」。大好きな言葉です。

 私の母は、二十歳の時、出光興産に勤めてゐました。ちやうど日章丸事件のころです。タイプが出来た母は四畳半の部屋に閉じ込められ、わけのわからない電文を一睡もせずに四日間打ち續けたさうです。イギリスの軍艦が日章丸を拿捕しやうとインド洋を探しまわつてゐます。日章丸からは打電できません。

 母はつひに、倒れてしまひました。當時の出光興産は、二十歳の女の子を四日間拘束する力がありました。母は、そのことについて出光興産を責めるどころか、誇りに感じてゐました。

 アングロイラニアン會社と出光興産が國際裁判となりました。AIの弁護人は、旗色が惡くなつたときに、「タイピストが休暇なので一週間休廷にしないか」と提案してきました。その時に、出光側の柳井弁護士は、「當方に優秀なタイピストがゐる。彼女なら、一晩で仕上げるだらう。お貸ししましょうか」と言って休廷を防ぎました。このタイピストは母のことです。

 母が亡くなるとき、日章丸事件に感動した國民から出光に來たたくさんのfaxやら電報をコピーして病室に持っていきました。「私の一生は役に立ったのね」ととてもうれしさうでした。

 日章丸の乘組員はあのとき、最初は、「サンフランシスコに行く」と傳へられてゐました。航海途中で、新田船長が「店主からの傳言だ。ただいまより、我が艦はアバダンに向ふ」と艦内放送をしました。これが有名な「アバダンに向へ」です。その時、艦内から「出光万歳!!! 日本万歳!!!」の合唱が起きました。今、こんなことをしたら、アホなメディアが大騒ぎ。

 天下國家のために働けば、かうなるのです。

 ああ、なんといふ國になつてしまつたんだ。いや、なんといふ國にしてしまつたんだですね。主語は自分にしないと。 をはり。

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このページは、宝徳 健が2017年10月14日 15:40に書いたブログ記事です。

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