どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再62(皇紀弐千六百七十七年十月二十一日 四)

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 行徳のはずれでごろつきどもに襲われて、これを撃退したものの、四歳の孫、犬江親兵衛を黒雲にさらわれてしまったところまででした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠:犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶんご) 行徳の旅籠屋の息子
 一方、犬塚信乃、犬飼現八、犬田小文吾の三犬士は、海路、豊島の河原に着きました。信乃が蟇六にあざむかれ、村雨丸をすりかえられた怨みの場所です。

 そのあたりは漁村で旅籠屋もないので、その先の滝野川村にゆこうと一緒に岸にあがりました。すると、ひとりの老漁師がいるではありませんか。老漁師が言いました。

「大塚村の村長さんの甥御さんではありませんか。どこにいかれていたのですか。大塚のたいへんな騒動はご存知ですか?」

信乃「大塚の騒ぎとは?」

 それは、亀篠と蟇六の夫婦が、浜路を我が物にしようとしてできなかった、陣代に殺されました。そのとき帰って来た額蔵が、主の仇とばかりに、陣代を殺してしまったのです。そのため額蔵は捕えられてしまって、日夜拷問を受けているということなのです。額蔵は死刑になることに決まったのです。

 それを初めて知った信乃たちは、死刑になる刑場に向かいます。さて、刑場には、額蔵が(犬川荘助)がもう磔(はりつけ)られているではありませんか。

 さあ、額蔵の運命やいかに。つづく。

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このページは、宝徳 健が2017年10月21日 10:55に書いたブログ記事です。

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