新嘗祭(皇紀弐千六百七十七年十一月二十三日)

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 今の我が國には、祭日がありません。占領軍がすめらぎ(皇)と臣民を切り離したいために、祭日をくだらない祝日に仕立て上げました。祭日とは、皇と臣民が一緒に弥栄(いやさか)を祝ふ日でした。

 繰り返し述べます。皇は「すめらぎ」と「すめらみこと」の両方讀むことができます。すらみことといふと今上天皇陛下です。すめらぎといふと、皇祖皇宗いや、もつと、いつたいいつから續いてゐるかわからない天子樣の氣の遠くなるやうな悠久の流れのことを指します。だから、私たちは、「天皇誕生日」を祝ってゐるのではないのです。
 永い永い人間社會で唯一歴史が連續した我が國のその節目節目を祝つてゐます。だから、「天皇誕生日」ではありません。「天長節」です。永い歴史の中で、その時の今上天皇陛下(すめらみこと)の誕生日をひとつの「節」として、「ああ、また續いたね」と祝ふのです。

 四月二十九日は昭和の日ではありません。昭和の日としてしまふと昭和天皇の誕生日となつてしまひます。「昭和節」です。十一月三日は「文化の日」ではありません。明治節です。

 二月十一日は、「建國記念日」ではありません。「紀元節」です。

 春分の日、秋分の日ではありません。「春季皇霊祭」「秋季皇霊祭」です。元旦は「四方祭」です。新しい年の到來を祝ふのではなく「新しい年がまた來た節目」を祝ふのです。

 そして今日。勤労感謝の日なんてふざけた名前を付けるなよ。「新嘗祭」です。

 陛下はこの日まで新米を食されません。最も大切な宮中行事です。なぜか。三大神勅です。

天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく:我が子孫が日本の統治者であり、清く正しい統治をする限りそれは永遠に續く)

斎庭の稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に稲の種を与え、これで民を養いなさいと命令した。日本は稲作國家である)

宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に鏡を与え、これを私と思っていつも自分を映し出して自己を反省せよと命令した)

 このうち斎庭の稲穂の神勅が新嘗祭と式年遷宮と深いかかわりを持ちます。稻作への祈りです。

 天孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨するときに、天照大御神が天孫に命じた言葉です。

 この斎庭の稲穂の神勅を知らなければ新嘗祭の本當の意味はわかりません。敗戰前は、小學生でも知ってゐました。

 百人一首にある僧正遍照(昭)(そうじょうへんじょう)の歌

天つ風 雲のかよひぢ 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ

は、新嘗祭(にいなめさい)  の翌日、「豊明節会(とよのあかりのせちえ)」の宴の後に公家や  國司の家から選ばれた未婚の美しい娘5人が踊る舞樂を觀て詠まれたものです。

新嘗の 赤丹(あかに)の初穂 諸人に 豊の明かりの今日(けふ)たまふなり

元柏(もとがしは) 白酒黒酒(しろきくろき)を 打ちそそぎ 新嘗まつる あかつきの空

 櫻町天皇の御製です。

神風の 伊勢の宮居に とよとしの 初穂ささげむ 時近づきぬ(明治天皇)

我が庭の 初穂ささげて 來む年の みのりいのりつ 五十鈴の宮に(昭和天皇)

 日本人ならこのぐらいは知っておきませう。そして、私たちの祖先は、人間社會の奇跡を永遠と築き上げてきたのだといふ誇りを持ち、今の我が國は、我が國史上最低・最惡であることも知りませう。誰が惡いか。國民が不勉強だからといふ自覺と共に。

 國籍だけの日本人にならないように。もうそろそろ目を覺ましませんか?

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先生、お久しぶりです。何だ、元気そうですね!

(私の不勉強はさておき、)先日、天皇皇后両陛下がわが県の離島を訪問されました。歓迎の様子が放映されましたが、インタビューで、40歳前後のお母さん(?)、
「ここで頑張って生きていきなさい、と仰ってくださったような気がして、励みになります。」
もう少しお年をめしたおばあちゃん、
「日本人に生まれてよかった。」
 かつて沖縄と同じようにアメリカの占領下にあった島の方で、ご苦労も多かったと思いますが、それでも陛下のお姿を遠くから拝見しただけで、自分が住んでいる地に足を運んでいただいたというだけで、(・・・だけで、というのはおかしいかもしれませんが)私たちは幸せを感じることができる。この説明できない(説明する必要もないのかな)感情って、何なのでしょうね。
 「日本人です!」と堂々と言える日本人になりたいけど、程遠いなあ~。まずは、ここで頑張って生きていくことに一生懸命になろうと思います。でも、すぐ怠けるのである・・・。(涙)

orkさんお久しぶりです。ちょっと事情があって入院していましたが、今は、体調が近年ないぐらい絶好調です。orkさんもお元気そうで何よりです。
 天子様は、私たち臣民を「おほみたから」として、自分の身よりも大切にしつづけてくださった永い永い数千年の積み重ねなんでせうね。人間社会の奇跡です。仰る通り、あとは、私たちが立派な日本人になるだけ。人生でも、仕事でも。それを追求していきましょう。できるかどうかではなくやるかどうか。orkさんのお悩みは、私の毎日の悩みと一緒です(笑)。コメント感謝します。

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このページは、宝徳 健が2017年11月23日 09:01に書いたブログ記事です。

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