つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十七年十一月二十四日)

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 TVでサンクスギビングデイの報道をしてゐました。確か十一月第四木曜日でしたよね?

 感謝祭は、1621年、イギリスからアメリカに移住したピルグリムたちが、アメリカではじめての収穫を神に感謝し、冬を越す智慧を授けてくれたネイティブアメリカンを招待して祝宴を催したことに由來してゐます。

 笑はせますが、もうすこしみてみませう。


  1620年9月、ピルグリムを乘せたメイフラワー號はイギリスを出発し、2ヵ月間の苦しい航海の末にアメリカに到着します。しかし新天地で彼らを待つてゐたのは嚴しい冬です。満足に食べ物もなく、最初の冬を越す間に多くの仲間を失ひます。

 この窮地を救つてくれたのが先住民のネイティブアメリカン。彼らの知恵のお陰でピルグリムたちは次の冬を充分越せるだけの収穫を得ることができました。

 春になつたらネイティブアメリカンに感謝を捧げるため、ピルグリムたちは彼らを招待し、丸三日間の祝宴を行ったとさ。嘘もこれだけ整ふと騙されますね。

 アメリカ人が自分たちの惡事を隱すために行うでっち上げです。まあ、今のアメリカ人も眞實を知つてゐないのでせうが。

 ネイティブアメリカンがピルグリムたちを助けたのは本當です。

 でも、春になるとピルグリムたちは、ネイティブアメリカンの酋長をぶち殺し、女は奴隷で売りさばきました。ネイティブアメリカンが、ピルグリムに渡したのも鰻だつたさうです。でも、ネイティブアメリカンと同じものを食べたなどと言われることに耐えられないピルグリムたちは七面鳥にそれを變へてしまひました。  まあ、こんなこと。

 平氣で嘘を云ふ。これが國際常識です。別に我が國まで嘘をつく存在になれとは云ひません。でも、かういふことを知つていかないと、歐米人や支那人とは付き合へないといふこと。國際化とか國際人とかきれいな言葉を言ってもかういふことを知らなければ何にもなりません。

 閑話休題。私は四十代に、支那の古典を四書五經を中心にむさぼるやうに讀みました。すごいなあ、昔の支那人は今と全く違ふなあ、と騙されました。五經はまだ、信じてもいいでせう。四書は五經の焼き直しですし、それに、彼らの理想論が加えられてゐあす。

 彼らは、「絶對に死んでも自分達では實行しない(できない)理想論」を語ります。まあ、「俺たちはこんなくだらん人間だけど、人間社會でこんなことが出來たら素晴らしいではないか」と語ります。それが支那の古典です。論語などでも日本人の考へでは、どうしても理解できないことがあります。それを知ったときはがつかりしました。でも、そのあと、勇氣が沸いてきました。

 その人間社會では實現不可能なことを、日本人が實現させてしまつたのです。素直な日本人は、支那とはどんなにすばらしいところだと彼らの理想論を追求し、そのままの生き方をしました。武士道です。だから、勉強する價値はあります。このバックグラウンドを知りながら。

 さて、繰り返し繰り返し繰り返し申し上げます。立憲主義の本當の意味を知つてください。

 憲法とは、國の文明文化、歴史、風土、傳統などです。それを文章化したものを「憲法典」と云ひます。日本國憲法は、憲法ではなく、憲法典です。でもこの考へ方から云ふと、我が國の文明文化、歴史、風土、傳統などをあらはしてゐない、

日本國憲法といふ憲法典は、明らかに憲法違反

 なのです。だから、憲法違反の憲法典 日本國憲法を改正しようとしたら、条文をいかに改正するかと云ふ小さなごみのごみのやうな議論になってしまふのです。

 井上毅が大日本帝國憲法を創案するときに、どれだけ我が國のこと研究したかを知り、憲法改正をするなら、國民レベルで我が國のことを研究することが大切です。

これが本當の憲法改正

です。をはり。

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このページは、宝徳 健が2017年11月24日 06:36に書いたブログ記事です。

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