確乎不抜の志(皇紀弐千六百七十七年十一月二十五日)

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 「人間は、自分だけのために力を盡すことはできない」。私の持論です。だから、間違った意味での「個性」「個性」と叫んでゐる今の學校教育を受けた人間は、力を盡すことをしない人間が多いのです。人のせいにばかりして。主語を他人にして。

 かくいふ私も。
 私はあと、二十年仕事をします。八十歳まで仕事で自分を鍛へて、八十歳から命が盡きるまで餘生を樂しみます。

 ところが最近、そのために、自分の生き方や仕事の仕方を見直さなきゃと思ってゐながらそれをさぼってゐました。今のままのやり方であと二十年は構築できません。また、負の遺産を解消する事に頭が行き過ぎてもゐました。今までと同じやうな時間や空間の使い方などできるはずもありません。

 さうこうしてゐるうちに、やはり天の鉄槌が下りました。「見直せと言ってゐるのがわからないか!!!」と。さいいふ前兆もありました。易經を學びながら、その前兆も見抜けない愚か者です。

 この年です。天がご褒美をくれるのもこれが最後でせう。家族みんなが考へました。これからのことを。私自身は考へました。家族のこと、クライアントのこと、友のこと。結果として自分だけのために生きてしまって、力を盡せなくなってゐた自分。

 私はなんて運のよい人間なんでせう。こんなに何度も天が気づかしてくれる。

 私はなんて運のよい人間なんでせう。息子が、私と同じことに気づいてくれました。彼に人生の姿勢を示すために生きることができます。

 クライアントのことをとことん考へました。自分の慾など・・・・。クライアントのために生きることをいまさらながらに示せます(結果を出してから)。

 家族のために生きることができます。仕事を引退した後にそれができるようにあと二十年の仕事の中のミッションに加えることができます。

 最後です。最後です。まだまだ生きろといふ天命に逆らったら地獄に落ちます。

天が衝く さぼる我が身を 天が衝く 我が身以外に 果たせ使命を

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このページは、宝徳 健が2017年11月24日 23:38に書いたブログ記事です。

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