命の手紙56(皇紀弐千六百七十七年十月三日 弐)

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☐宝徳 卓の思い出 つづき
 四ケ浦(しがうら)中学の修学旅行は「大阪・京都」だった。お金がないので、水泳が得意だった彼は潜ってササエを獲り費用に充てたという。伝ませんを漕ぐのも上手だった。

 中卒の卓は、会社でよく皆さんに溶け込んでいった。職場対抗の競技のときは鮮やかなくろーつで他を引き離していた。会社にはグランドがあった。彼は野球部にも入っていた。

 私は知らなかったが、特筆すべきことがある。宝徳卓は「日本で2人しかいない特殊アルミ溶接の免許を持っている」と総務部長に聞いたときはウンと唸った。

 大抵は他人に言わなくても兄貴には言いそうなものだがなあ。

 アルミは酸化するので、アルゴンアークの雰囲気の中で溶接しなければならない。卓はいち早くその免許を取得していたのだ。日本で二人というのはすごい。  つづく

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このページは、宝徳 健が2017年10月 3日 07:43に書いたブログ記事です。

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