水始涸(皇紀弐千六百七十七年十月四日 弐)

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 今書いてゐるブログの日付は明日にしますね。

 十月三日から、七十二候 秋分 末候 「水始涸」です。「みずはじめてかれる」と讀みます。

 田の水を落として、稻穂の刈り入れを始める頃です。収穫の秋まつただなかで、大忙しですが、黄金に色づいた稲穂が輝き、風がなびく風景はとても美しいです。

「水始涸 写真」の画像検索結果

 よくこの積み上げた藁で遊びました。かくれんぼに最適です。服の中に藁が入り込んで、歸つたら、母に偉い怒られたものです。
 小学校三年生の二學期から、小学校五年生まで静岡縣駿東郡裾野町(現 裾野市)に住んでゐました。もう、自然満載! 毎日、富士さんがきれいに見えます。そこいら中に湧水が。なので、遠足に水筒を持つていかなくても大丈夫。野山を駆け回つて遊びました。

 秋。あけび、うべ。赤腹釣り。栗拾い。自然の實りを堪能しました。

 今、裾野つてどうなつてゐるんだらう???
「裾野市 自然 写真」の画像検索結果

 本當にこんな風に観ることができるんです。富士山を。

「裾野市 自然 写真」の画像検索結果

 
「裾野市 水車 写真」の画像検索結果
 當時は、かういふ水車はまだたくさんありました。脱穀なんかをしてゐました。

 イノシシに追いかけられたり、がけから落ちそうになつたり・・・。

 でも、うちの両親は、止めません。心配だつたと思ひますが、男の子が乘超へなければならないリスクを體驗させるといふ教育だつたのですね。

 姉は、今でもよく「あんたは、どれだけ心配かけたか知つとる!」と云ひますが(笑)。

 まあ、なんにせよまで生きてゐます。

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このページは、宝徳 健が2017年10月 3日 19:54に書いたブログ記事です。

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