戰國策 再38(皇紀弐千六百七十七年十月十二日 四)

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 続きです。斉の宰相、鄒忌(すうき)は妻と妾と客に、斉きっての美男子、徐公よりも男前だといわれます。そして、それは自分を身びいき、こわい、とりいろうとする、心からのものだったとし、威王に提言します。
 威王は、「よくぞ申した」と言い、さっそく次のような布告を出しました。

「王の過ちを直接指揮した者には、上賞をつかわす。書面で諌めた者には、中賞をつかわす。市中または朝廷で批判し、それが王の耳に達すれば、下賞をつかわす」

 ひとたび布告が出ると、初めのうちは、諫言に来る家臣たちで朝廷の門算がごったがえしまし。数ヶ月もすると、来る者もまばらになりました。一年後には、まったく跡をたちました。諫言したくても王に過ちがなくなったからです。

 この噂が燕・趙・韓・魏の諸国に達すると、諸国はいずれも斉に朝貢の礼をとりました。"兵を用いずして敵に勝つ"とは、まさにこのことを言うのでしょうね。

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このページは、宝徳 健が2017年10月11日 22:44に書いたブログ記事です。

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