どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再77(皇紀弐千六百七十八年元旦 五)

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 今の家老が、まだ若いとき、当時の家老ふたりを落としいれ、自分が権力を握ろうとした逸話を、掃除をしていた下男から小文吾が聞いているところまででした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠: 犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、 信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ んご) 行徳の旅籠屋の息子
 まんまとはめられた、当時の二人の家老の一人に、殿様は激怒し、もうひとりの家老に捕縛を命じます。捕縛できなければ、打ち首だとも伝えます。
 ということで、もうひとりの家老は、先に出た家老に追いつき事情を説明します。先に出た家老は、戻ろうとしますが、権力を独り占めにしたい、後に出た家老は、その場で、先に出た家老を殺してしまいます。これで、自分が国の権力を一手にできると考えた後に出た家老ですが、よく見ると、名笛 あらし山も、ふたつの名刀もないではありませんか。

 そうです、船虫が、どさくさにまぎれて、盗んでいってしまったのです。それを命じたのが、今の家老です。まんまと、当時のふたりの家老は、今の家老の若かりし頃にはめられたしまったです。

 後から出た家老は、国に帰ることができないので、逐電してしまいました。

 その後、若殿がほんとうの殿様になり、今の家老が家老に就任しました。・・・・・


 というような話を、掃除をする下男から小文吾は聞いていました。あまりの話に、小文吾も下男も夢中になり、小文吾も下男も、小文吾に夕ご飯を運んできた、小僧にも気付きませんでした。

 これは自分も注意しないと殺されると悟った小文吾です。でも、次の日になると、その掃除の下男が死んでいるのがわかりました。回りの者に聞いて見ると、「食あたりで血を吐いて倒れた」そうなのです。小文吾は、話を聞いた小僧が家老に報告し、毒殺されたのだと気付きました。

 さあ、小文吾の運命やいかに。つづく。

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このページは、宝徳 健が2018年1月 1日 04:50に書いたブログ記事です。

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