人を四囘叩く(皇紀弐千六百七十八年一月三日 弐)

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 2年前心臓バイパス手術をしました(一囘目)、今年二月十一日の大雪の時、お客様が運轉する車で川に落ちました(二囘目)、今年九月に友人の家で轉ろんで顔に傷を負いました(三囘目)。良いとか惡いとかではありません。

 支那の古典 易經は、兆しの教へです。三囘も天が兆しをくれたのに、自分を修正しなかつたと云ふか、自分を修正することに氣付かなかつた私は大馬鹿者です。

 「命」といふ字は「人」を「一」囘「叩」くと書きます。何度も天が叩いてくれたのに、それに氣づかない大馬鹿者。そして、今囘の事故。四囘も叩かれてやつとわかるバカ。仕事には支障がないのですが、歯や傷の完治は一年以上かかります。「お前、三囘も叩いたのに氣づかないから、今度は、痛さと辛さを一年以上残すからな。記憶に「遺せ」よ」と天が。五囘目はないですね。三十年目標を達成し関はつて頂ける方々に恩返しをし、天の聲に應へます。感謝合掌。

叩いても 叩いてもまだ わからぬか 四囘叩くも まだわからぬか

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このページは、宝徳 健が2018年1月 2日 19:51に書いたブログ記事です。

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