つれづれなるままに つづき(皇紀弐千六百七十八年一月二十五日)

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 この記事から明日のブログルーティンです。昨日も家に歸りましたが、出張の疲れですぐに寢てしまひました。今日は、行けます。ルーティンを完結させます。仕事もやります。あとは風呂に入るだけなのでやりあげてからゆっくり寝ます。明日は、4時に起きます。今年のルーティンは苦しいなあ。でも、樂しい。もし、このルーティンがこなせるやうになると私はかなり力がつきます。忘れないやうにもう一度。

 
我、未だ潜龍なり!
確乎としてそれ抜くべからざるは潜龍なり(確乎不抜の志)
 潜龍用ふるなかれ
年立つや 元の愚がまた 愚にかへる(小林一茶)
掃けば散り 祓へばまたも 散り積もる 庭の落葉も 己が心も
敵は己ただ一人、一生かかってこれに打ち勝て(福岡髙校テニス部キャプテン日誌より)

 さて、昨日の(といふかけふの)ブログの「つれづれなるままに」のつづきです。

 まあ、シンガポールの國父と呼ばれるリー・クアンユーも國際派を自認し近代國家を強調しましたが、結局は世襲を図りました。北朝鮮と變はりありません。

「だとすると毛主席を見習う習主席が、清帝国の版図に君臨し、秩序の復活を民族の夢とするのは當然だろう。ただし現体制のままでは、政権維持のために密告奨励の監視社会にならざるを得ない。その管理は在外華人に及ぶだろう。だが、自由を求めて改革を求めないほど留学体験エリートがすべて保身的だと思わない」

「大陸周辺に位置する日本は聖徳太子の昔から、政治的独立は主張しつつも、漢文明を取り入れた。おれは東洋道徳を唱えつつも西洋技術習得の急務を説いた幕末の佐久間象山らと文明摂取の態度は共通する。千年前の「和魂漢才」が「和魂洋才」に変わり、福沢諭吉は漢籍よりも洋書を読めと主張した」

 なぜこの平川先生の記事を紹介したか。それは、ここまでは(ある程度)正確に歴史を述べられてゐるからです。この先は、先生の主觀。割愛(笑)?します。

 さて、「常識は凡人のもの 管見妄語(かんみもうご) 新潮社」が上梓されました。藤原正彦先生
が週刊新潮の前の方に連載されてゐる記事を本に編集されたものです。

面白い!!!

 「時に人々の目を曇らせ、時に判断を鈍らせるー。それが「常識」の落とし穴」が副題です。豐な人間性。卓越した日本語。共感性を優先した知識と表現。すべて私にはないものです。面白く、そして、とても勉強になります。私が週刊新潮をよく賈ふのは、藤原先生と高山正之先生の記事があるからです。お二人の記事がなければ私は慎重を賈はないでせう。この本と、數行後に書く「祖国とは國家」は必讀です。

管見妄語常識は凡人のものの本

 私が好きで好きでたまらない作家(? 先生は世界的大數學者)の一人です。お父様でいらっしゃる新田次郎先生が書いている途中で亡くなった本サウダーデ。日本に移り住んだ明治期のポルトガル士官の話です。最高に面白かった。もちろん先生の數學物語分野の本も讀んでゐます。




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 この世界的な國人が出されている傑作が
祖国とは国語(新潮文庫) [文庫]

 です。今の安倍政權の教育政策を否定します。小學校から英語などと云ふ國家社會を破壊する教育・・・。同感です。

 ああ、ブログが書けると心が安定します。本が讀めると心が廣くなります。ルーティンがきちんとできると氣が引き締まります。そして強い氣持ちで仕事に向かへます。

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このページは、宝徳 健が2018年1月24日 19:42に書いたブログ記事です。

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