命の手紙 83(皇紀弐千六百七十八年三月十五日 二)

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 今年九十一歳になる父が、自分の人生を遺すために、親類に手紙を送ってきます。 娘息子、その配偶者、孫、孫の配偶者、曾孫(二人)、叔母宛です。

□海軍四方山話

のつづきです。
 教育委期間は約3年。その間に普通学と軍事学の基礎教育を受け、終了後は正規の飛行練習生のコース(飛行練習家庭)編入され、その後、延長教育を受けて実施部隊(実戦部隊)に配属された。但し、昭和17年からは予科練の教育期間は短縮された。

※以下、松山航空隊を松空(まつくう)と略

 松空跡はいま松山飛行場と帝人松山工場になっていて、帝人のご厚意で、工場内の一角に「松山海軍航空隊跡」の碑が建っている。

『生(いのち)あらば傳(つた)へられんことを 昭和の御代に豫科練という紅顔の魁(さきがけ)ありしと』の碑もある。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年3月15日 02:46に書いたブログ記事です。

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