戰國策 再71(皇紀弐千六百七十八年三月二十二日 弐)

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 趙(ちょう)の国の話を続けています。紀元前226年に、趙の恵文王が亡くなりました。太子はまだ幼く、母の太后が摂政となりました。隣国秦の脅威を受けて、大后の心は揺らぎます。

 今日のテーマは「かわいい子には苦労をさせよ」です(20091217)。
 恵文王が死んだので、すかさず秦は趙に攻撃をかけました。趙は斉に救援を要請します。斉は救援に条件をつけました。

「長安君(ちょうあんくん、新王の弟)を人質に出せ。援軍はそれからのこと」

 太后は承知しませんでした。重臣がその案を強く押すので、太后は側近にきつく言いました。

「長安君を人質に送れと二度と言ってごらん。唾をはきかけてやるから」

 ある官吏が拝謁を願い出ました。太后は会釈はするもののムッとした表情のままです。

官「わたくしめ、また足の病が出て、歩くにも難渋します。ひさしくお目通りもなりませんが、お察しいただけると存じます。とは申せ、太后さまの身も案じられ、お目通り願った次第です」
太「私とて車ばかりです」
官「それは、それは。では、お食事の方は?」
太「それが、おかゆばかり」
官「わたくしもめっきり食が進まなくなりました。そこでつとめて散歩するよう心がけたところ、少し食欲が出て、調子もよいようです」
太「私にはとても・・・」

 太后の表情がいくらかやわらいできました。官吏は言葉を継ぎます。

官「私の末子はどうも不肖者で困ります。自分が老いぼれてくるにつけ、いとしくてなりません。どうか王宮の衛士にとりたててやってくれませんか。一生のお願いで御座います」
太「いいですとも、それで、いくつですの?」
官「十五になります。若すぎましょうが、この老いぼれの生きているうちにと思いまして・・・」
太「男親でも、末子がかわいいのですね」
官「それはもう、母親以上です」

 太后はにっこりしました。

太「いいえ、母親はまた格別です」
官「ですが、末のお子様の長安君よりも燕に嫁がせた姉姫をかわいがっておられるようですが」
太「とんでもない。かわいいのはなんといっても長安君」

官「かりにも子を愛するからには、先々まで考えてやるものです。姉姫が嫁がれるとき、あなたは別れを惜しんで泣き、ひざもとを離れるあの方の身を案じて涙にくれました。嫁がれてからも、案じなされぬ日とてなく、祭りにはいつも『不縁にならぬように』と祈っておいでになる。それというのも、子孫が末永く栄え、王位を受け継いで行くことを願うからではありませんか」

太「ええ、そうですとも」
官「趙王が王を名乗る以前の3代の間に、地方の領主に封じられた一族の中で、引き続きその地位にとどまった、そういう例があったでしょうか」
太「さあ、ないでしょう」
官「趙に限りません。他の諸侯にはどうでしょうか」
太「それも聞いたことがありません」

官「なぜでしょうか。過というのは、わが身ばかりではなく、子孫にまでも及ぶからなのです。王族の子孫が、かならず不肖者とは限りません。しかし、功績が無いのに位ばかり高く、功労も無いのに俸禄ばかり多い。財宝も有り余るほどです。いまあなたは、趙安君を高い位につけ、豊かな封地と有り余る財産を与えています。それなのに、何一つ仕事らしい仕事はさせていません。あなたにもしものことがあれば、長安君はどうしていまの地位を保てましょう。それで申し上げたのです。長安君の行く末を考えてやってはおられない。かわいがっているのは姉姫だと」

太「たしかにその通りです。あなたに任せます」

 長安君は斉に人質として出向きました。斉はすぐに援軍を出しました。

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このページは、宝徳 健が2018年3月21日 20:01に書いたブログ記事です。

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