楠木三代考 6(皇紀弐千六百七十八年四月二十一日 七)

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 正成(まさしげ)・正行(まさつら)の櫻井の別れを再現した石像が、櫻井の宿跡と、正行を祀る四条畷(しじょうなわて)神社にあります。


 櫻井の宿跡



 四条畷神社

 違いが分かりますか?
 櫻井の宿跡は「滅私奉公」。四条畷神社は「忠孝両全」です。

 ひたすら(本當に愚かな天皇だ度私は思ひますが)、後醍醐天皇を奉じ、官軍の一役を担つて智謀の限りを盡した正成。その人生を象徴する言葉が滅私奉公なのでしょうか(私は私背公向 はいしこうこう だと思ひますが)。父の教えを守って後村上天皇のために戰つた正行には、忠義と孝行が揃ってゐたといふことで「忠孝両全」なのでせう。

 四条畷神社には、正行の母(正成の妻) 久子を祀る摂社の御妣(おおみや)神社があります。河内に正成の首が送られてきたとき、正行は取り亂して自害をしようとしました。それを命がけで説得したのが久子です。

 正行の成長には、正成の教へだけではなく、久子の存在も大きく影響しているのです。

 まさしく、婦道!!! 昔の日本人は格好いい。この時正行は十一歳ですよ!!

 公を忘れ、精神性を失った今の日本人は幼稚ですね。まあ、國會は幼稚園並だと言ったら園児に怒らせそうですが(笑)。

御妣神社 母子像 に対する画像結果

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このページは、宝徳 健が2018年4月21日 06:36に書いたブログ記事です。

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