戰國策 再57(皇紀弐千六百七十八年一月二日 四)

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 斉の孟嘗君の最終回です。馮諼(ふうけん)が締めくくります。
 馮諼が、孟嘗君の領地である薛(せつ)の民衆に貸した借金をみんなただにして帰ってきたことは、前回書きました。それから、一年が経ちました。斉の王は、孟嘗君に向かって言いました。

「先代に仕えた大臣は辞めてもらうことにした」

 孟嘗君は領地の薛に向かいました。薛の人々は、百里も手前まで出迎えました。老人も、子供もまじっています。孟嘗君は馮諼をかえりみて、「恩義を買ったとはこのことですな」と言いました。

 馮諼は、「賢い兎が生き延びられるのは穴が三つもあるからです。あなたには、いまそれが一つだけです。まだ、枕を高くして眠られません。あと二つ掘って差し上げます」と言いました。

 孟嘗君は、車五十輌と金五百斤を与えました。馮諼は魏の都、梁に行って、恵王に説きました。

「斉は大臣の孟嘗君を解任しました。この方を迎える国は、国力、兵力とも強大となりましょう:

恵王は宰相を上将軍に降ろしてその位を空け、使者に黄金千斤、車百輌を持たせて、孟嘗君を招こうとしました。馮諼はその前に駆けもどり、孟嘗君にくぎをさしました。

「千金、百輌といえば最高の扱い、この噂は斉王にもとどきますぞ」

 魏の使者は三往復しました。孟嘗君は固辞して受けませんでした。

 恐れをなしたのは斉王です。さっそく、賜物をふんだんに用意して、わびを入れてきました。そして、斉に帰って政治をしてほしいと頼みました。

 馮諼は、孟嘗君に入れ千恵をします。「薛に宗廟をたてなさい」

 廟が完成しました。馮諼は孟嘗君に報告しました。「これで穴が三つできました。当分は枕を高くして休めます。かくして、孟嘗君は宰相の地位にあること数十年。いささかの禍もありませんでした。これもすべて馮諼の恩返しなのです。

 戦国時代は、これくらいの用心がないと生き残れなかったのですね。史記では、魏ではなく、秦となっています。史記の方が最後は面白いかな。

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このページは、宝徳 健が2018年1月 1日 19:20に書いたブログ記事です。

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