背乘り(皇紀弐千六百七十八年一月二十四日)

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 背乘り・・・。「はいのり」と讀むさうです。

 産經新聞朝刊に連されてゐる「40年の検証 私の拉致取材」はいいですね。その中に出てきた言葉です。初めて知りました。

 北朝鮮人は、なぜ、日本人を拉致する必要があつたのか。日本語教師? それなら、歸國事業の時にあれほどたくさんの日本人が北朝鮮に渡つたのだから必要ないでせう。
 その動機は解明されてゐないのですが、理由の一つとして推察されるものが「背乘り」です。

 要は、日本國内で合法的な活動をするために、日本人の戸籍が欲しかった。北朝鮮人は。戸籍をいろいろな手段で手に入れても(本人が知らないところで)、本人が國内にゐるとばれたら困るので拉致した・・・・。 この戸籍を手に入れてなりすますこと「背乘り」といふさうです。

 アベックだと背乘りがしやすい、これを書いてゐる記者は、當時、そこに目がいきすぎて、めぐみちゃんなどの「個」の拉致に氣づくのが遅くなったそうです。

 國家といふのは、最大の使命は、自國民を護ることです。何があっても。だから、英國などは、「戰爭に勝てる人間」が首相になります。日本では、自ら國をつぶす、鳩山や菅がなりますが。

 かつて、パーマストンといふ英國首相は、異民族系の英國人が、外國で凌辱を受けたとき軍隊を派遣してその國を攻めました。女王も議会も反對したときのパーマストンの言葉です。

イギリス国民がいかなる土地に いようとも、イギリスの油断なき 監視と強い腕によって、不正と 邪悪から守られている」

 榎本武揚は、アイヌ人がロシア人に凌辱されたとき、徹底的にロシアを責めました。まだ、不平等条約時代です。「我々日本を野蛮な國だというあなたたちは國際法を護らないのか。それなら、我々は野蛮國家としてふるまう」と。そして、なんと、あの大ロシア帝國對して、千島・樺太交換条約をのませます。 クリミアでの紛争にかかりっきりになつてゐる地政學を見事についてゐます。

 翻つて、今の我が國。十四歳の女の子が攫われても助ける氣もありません。これが國家か。平和主義とは、「自分だけ平和であればそれでいい」といふ考へです。國家の平和とは國民自らが勝ち取るものです。

 この記者が拉致取材をしてゐる當時、「地上の樂園 北朝鮮がそんなことをするはずがない」と、言つてゐました。政治家も官僚もメディアも。

 平和主義と云ひます・・・・。

 軍隊を派遣してでも取り戻す!!! 拉致被害者を。それが國家で。専守防衛。いいでしょう!専守どころか、もう、攻め込まれてゐるので。なら、軍隊を派遣しても専守防衛です。

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このページは、宝徳 健が2018年1月24日 08:58に書いたブログ記事です。

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