どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再81(皇紀弐千六百七十八年一月二十日 四)

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  南総里見八犬伝は、文化11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完成しました。全98巻、106冊の大作です。馬琴はこの物語の完成に、48歳から75歳に至るまでの後半生を費やしまた。その途中失明という困難に遭遇しながらも、息子宗伯の妻であるお路の口述筆記により最終話まで完成させることができたといいます。すごい執念ですね。俗にいふ鎖国といふ中で、日本人の感性の豊かさを感じます。 

 さて、旦開野(あさけの)が小文吾のところに現れて、告白します(今の言葉ではコクルというのでしょうか)。小文吾は受け付けませんが、とにかく明日の夜までまってくれということで、旦開野は素早く姿を消しました。というところまででした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠: 犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、 信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ んご) 行徳の旅籠屋の息子
 さて、家老は、うっかり小文吾に密約をしゃべってしまったのに拒否されたから、何とかして消してしまおうと給仕の子供に小文吾の様子をうかがわせていました。小文吾に疲れが出たと報告を受けたので、腹心を使って暗殺を謀りましたが、次の日になっても腹心は帰りません。給仕の子供から、小文吾はいつものように過ごしているということを聞いてあわてました。

 給仕の子供にさぐらせたところ、庭の池の草に血がついており、池の水が薄紅に濁っているという報告がありました。さては腹心を殺し池にしずめたのかと気づいたが、腹心殺害の理由で襲撃して殿様の耳に入ってはまずいころになります。どう処分したらよいか心を悩ませました。でも、この日は息子の誕生日です。毎年酒宴をはっています。まあ、小文吾のことは明日か明後日に伸ばそうと、酒宴の準備を始めました。

 この日は、正午から旦開野の田能楽を楽しみながら、盃を酌み交わしてドンチャン騒ぎです。
 
 夕暮れになっても酒宴はやまず、夜中の一時頃ようやく客も帰りはじめました。あるじ親子は酔って寝床へ這入りこむのがやっとでした。

 この話がいったいどう発展するのでしょうか? つづく。

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このページは、宝徳 健が2018年1月20日 09:54に書いたブログ記事です。

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