命の手紙 77(皇紀弐千六百七十八年二月七日)

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 旧制中學と云ふのは現在の髙校に當たるのですが、それが認められませんでした。
 旧制中学5年間、支那語(中国語)が必須(英語も)だった。先生は日本語がよくわからない支那人だったので、ボクたちが日本語を教えていた。例をあげよう・・。

先生:「水を少し焼くものは(日本語で)なんというか」
生徒「生ぬるいと言います」
先生「あまぬるい」か・・。

 卒業を証明するもの(卒業証書)がないので小学校卒業で世の中に出て、終生を小卒ですごした。つづく

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このページは、宝徳 健が2018年2月 7日 05:49に書いたブログ記事です。

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