紀元節(皇紀弐千六百七十八年二月十一日)

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 今日は、紀元節です。建國記念日などと云ふ歴史を冒瀆する名前ではありません。今の我が國に祭日がありません。祭日とは皇(すめらぎ)彌榮(いやさか)を君民一體となつて祀るものです。敗戰後、皇室と臣民の關係を斷ち切りたかつたGHQは、言葉巧みに、祭日を亡くしました。

 このブログで何度も書きましたが、「皇」を「すめらぎ」と讀むか「すめらみこと」と讀むのではまるで意味が違ひます。この意味の違ひが「建國記念『日』」と「紀元『節』」の違ひです。

 「皇」を「すめらみこと」と讀むと今上天皇陛下のことを云ひます。だから、「天皇誕生日」と云ふと「天皇誕生日おめでたうございます」と云ふ今上天皇陛下の誕生日を祝ふこととなります。天皇陛下はそんなことはちつとも望んでいらっしゃいません。

 「皇」を「すめらぎ」と讀むと、皇祖皇宗以來 連綿と續く シラスといふ人間社會の奇跡である國體 君臣一體となつた我が國のことを指します。だから「天皇誕生日」ではなく「天長節」となります。永く永く續いていく我が國體をたまたま今の天皇陛下の誕生日をひとつの「節」として祀るといふことです。

 だから「建國記念日」といふと、意味をなさない。何を祝ふの? 何を祀るの? わけがわからなくなります。

 今日は、

紀元節

 です。みんなで人間社會の奇跡である、シラスが今年もまた續いたことを祀りませう。

第一章

雲に聳(そび)ゆる 高千穂の
高根おろしに草も木も
なびきふしけん 大御世(おおみよ)を
仰ぐ今日こそ たのしけれ

第二章

海原なせる 埴安(はにやす)の
池のおもより 猶ひろき
めぐみの波に 浴(あ)みし世を
仰ぐ今日こそ たのしけれ

第三章

天(あま)のひつぎの 高みくら
千代よろずよに 動きなき
もとい定めし そのかみを
仰ぐ今日こそ たのしけれ

第四章

空にかがやく 日のもとの
よろずの国に たぐいなき
国のみはしら たてし世を
仰ぐ今日こそ たのしけれ

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このページは、宝徳 健が2018年2月11日 07:04に書いたブログ記事です。

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