カウンセリングの技法 再8(皇紀弐千六百七十八年二月十二日 參)

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 カウンセリングには三段階がありました(20100915)。


①リレーションをつくる
②問題の核心をつかむ
③適切な処置をする

 でした。前回まで、リレーションをつくるための「受容」と「支持」を勉強しました。今日から、「問題の核心をつかむ」を勉強しましょう。問題の核心をつかむための、第一は、「繰り返し」です。

 リレーションはカウンセリングにとっては必要な条件ですが、十分条件ではありません。自他の行動のパターン、行動の意味、行動の原因について気づくことが大切です。これを心理学用語で「洞察」と言います。

 でも、十分な準備がないうちに、相手を解釈しようとすることは、かなり難易度が高いことです。そこで、順序として「繰り返し」を用います。


 「繰り返し」とは相手の話したポイントをつかまえて、それを相手に投げ返すのです。「私は、あなたの話をこういう風に理解しましたが、私の理解に間違いはないでしょうか?」という気持ちを込めてポイントを復唱するのです。


 クライエントとしては、自分の話したことが音声になって外から戻ってくるのですから、自分の気持ちや受け取り方を離れて眺めることができます。つまり、自問自答を促進することになります。それによって、いままでぼんやりしていた自分がはっきりと見えてきます。


 ここにある、カウンセラーと受刑者の会話があります。

カ「今日は何もしゃべりたくないのですね」

受「看守がここに行けというから来ただけなんだ!」

カ「看守が行けというから来ただけなんですね」

受「だってなあ、オレは、人間というものは刑務所に入ったぐらいで変わらないということをジャバの奴らにみせたいんだよ」

カ「なるほど。人間というものは刑務所に入ったくらいで変わるものじゃないことを世間の人に示したい」

受「だいたい、先公なんて口先だけじゃないか」

カ「教師というのは口先だけだというわけだな」

受「オレが事件を起こしたときだけ先公がやって来て『なぜ、早目に相談に来なかったか』なんていいやがる。ふだん、オレが事件を起こさないときは全然面倒も見てくれないくせに」

カ「なるほど、普段はちっともかまってくれないくせに、事件を起こしたときだけ、教師は恰好いいことを言う。だから教師は口先だけだというわけだな」

 

 黙ろうとしていた受刑者が、こうして語るうちに、自分はなぜ刑務所に来るようになってしまったかということが明らかになってきました。

 繰り返しというのは、軍隊の復唱ではありません。初期の段階では、おうむ返しという方法はありのですが、それだけでは相手は変容しないからです。次回は、繰り返しの本質を勉強しましょう。

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このページは、宝徳 健が2018年2月12日 09:28に書いたブログ記事です。

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