福岡髙校テニス部日誌 S(皇紀弐千六百七十八年二月十三日 弐)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 浅川君の6日連続の日誌です(笑)。いよいよ西日本選抜→毎日少年少女と續いた過酷な試合日程も終はりです。昭和五十二年です。 この日は三月二十六日。金曜日です。春休みに入つてゐますので、二日休んで月曜日の29日から合宿に入ってゐます。

 当時のテニス部の部活が休みの日は、定期テスト前 1週間。試合が終わった次の日、あとは夏休み(あったかなあ)と正月休みぐらいなものだつたでせうか?

 小島というのは當時全国NO.1學校の柳川商業のレギュラーです。

 古屋敷さんとは確か筑紫女学園のエース(女子)です。とてもかはいい子で、我がテニス部にもファンがたくさんいました。私? 硬派を氣取ってましたから(涙)。

 あっ、浅川君は繪がとてもうまい。當時、サーキットの狼といふ漫画がはやってゐました。スーパーカーがどんどん登場してワクワクしながら讀んだものです。浅川君が書いたスーパーカーの繪を最後に紹介します。

サーキットの狼 絵 に対する画像結果
 3月26日 浅川寝太郎

中垣さん おしくも小島にまけました。尾上さんに「あの人やろ 宝徳さんに負けた人」といえ!!と言われましたが、クリーンテニス!?を目指すボクにはとても言えず ずっごぐ おこられたのら~~~ グブグブ~~

森は平気で「あの人やろ、宝徳さんに負けた人」と大声でわめき散らしておりました。

尾上さん 中垣さん組は着々と準々決勝へとコマを進めましたがおしくも 小島 かみかわ組にやぶれました。ザンネン!!

仕合のあいまに1年生はカンケリをしておりました。鬼はオカムラくんでとてもたのしかったのら。

それからテニスショップかわの に行きましたのだ。信二はグリップを巻き替えにいったのについラケットをかっていました。じぇ~たくやの~。

といいながらI amもracket をbuyしてしまったのら。しかしI amがえらんだラケットを埜田さんにみてもらうと 「なんやこれ バランスわるいし おもか~」と言われました。アーア オレは1年もテニスをやって、いいラケットも満足にえらべんのかと思うと ものすご~くみじめ!!

埜田さんと信二の後はいのものすごくうまいのが今年のテニス部に入ってくるそうです。しかも左利きが!!教える自信がありません。みなさん、先立つ不幸をお許しください。といってもおれが死んでも悲しむやつはおらんったい。

死ぬのやーめた。

27日、28日はフリーなのら~

29日から地獄の合宿に突入

みなさん耐えましょう

P.S. 古屋敷さんが負けたそうです。みんなヤッコAをはげましましょう。



トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7458

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2018年2月12日 20:13に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年二月十三日)」です。

次のブログ記事は「カウンセリングの技法 再9(皇紀弐千六百七十八年二月十三日 參)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。