戰國策 再75(皇紀弐千六百七十八年四月二十三日 參)

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 中国古代戦国時代の最大の戦い、秦と趙との長平の戦いの後の、戦後処理の話を掲載しています。趙王は、楼緩(ろうかん)の意見を聞き、続いて、虞卿の意見を聞きました。そして、もういちど、楼緩の意見を聞きます。誰かみたい(20091222)。
 趙王は、虞卿の言葉を楼緩に伝えました。

楼「虞卿は真の力を十分知っているのでしょうか。秦の力を知らずに、これっぽっちの土地も与えない。来年また攻められたら、それ以上の土地を与えて講和することにはなりませんか」
王「かりにあなたの言うように、土地を与えるとしよう。そうしたら、来年、ふたたび秦が攻めて来ないと保証できますか」

楼「それはできません。むかし、三晋(韓・魏・趙)と秦の関係は円満でした。いま、韓と魏は放っておかれ、趙だけが攻められるのは、秦への仕えようが韓・魏ほどではないからです。私が秦との仲をとりもち、物資と貨幣の流通を自由にし、韓・魏と同じ関係にしてさしあげたとします。しかし、来年になってまた秦ににらまれる。それはもうあなたの仕えようが韓・魏ほどではないからです。私には保証できません」

 趙王は、またここで、虞卿に相談に行きます。誰かさんみたいですね。

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このページは、宝徳 健が2018年4月22日 16:27に書いたブログ記事です。

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