つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年一月四日)

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 この記事から明日のブログルーティンです。

 おみくじを3社で引きました。橿原神宮の大吉は紹介しました。西宮神宮は吉。甲子園球場の横にある素戔嗚神宮も吉。大吉とか吉とかで一喜一憂するのではなく、このおみくじに書いてあることを讀むのが好きです。まずは和歌。

吹く風に 髙峯の雲 はれ行きて 涼しく照らす 十五夜(もちのよ)の月(橿原神宮)
世の中の よきもあしきも ことごとに 神の心の しわざにぞある(西宮神宮)

 あれ?素戔嗚神宮のおみくじには、和歌がないや(笑)。まあいっか。

 西宮神宮の和歌はいいですね~。まるで自分に云はれてゐるやうです。よく、「私、落ち込んでます」と云ふ人がいますが、いつも「この人暇だなあ」と思つてゐます。起きたことは、その起きたことが自分にとつて「ベスト」(結果がベスト)。それを受け留め(受け入れることはできなくても)て、前に進むしか選択肢がないのに、ベストの結果にぐずぐず云ったり、俗にいふ「落ち込んだり」します。

 素戔嗚神宮のおみくじには和歌がないけど、なかなか面白い。この三社のおみくじを紹介するだけでいくつかブログが書けさうです。また書きますね。おみくじを神宮に結んで歸える人がたくさんゐますが、この樂しみを知らないんだらうなあ。

 野生チンパンジー研究者 ジェーン・グドールさんのつづき。
 

 ジェーンさんに云はせると「ヒトをチンパンジーとだけ比較するのはフェアではない」さうです。

 ヒトは、ボノボとチンパンジーの両者の性質を併せ持つ存在だからださうです。


 長大なコンゴ川の左岸(南側)で暮らすボノボは、チンパンジーと似てゐるものの別種の類猿人です。両者の分岐は100万年前ださうです。氣質や社会の仕組みが大きく違ひます。

コンゴ川 に対する画像結果


 ボノボなんて初めてしった・・・。この話つづく

 あまり詳しく知りたくもないのですが、數日前、公明党の山口さんが、なんでも(間違っていたらごめんなさい)、支那やロシアと話し合ったけど、北朝鮮の核放棄は彼等も願っていて、日本が中心的な役割を・・・・・。

 あまりのバカさ加減に開いた口がふさがりませんでした。核を持たない我が杭が中心的役割を果たせるわけがない。それなら、世界唯一の被爆國の我が國は核を持つ權利があると主張した方が、世界の安全保障や核秩序にどれだけ影響を及ぼせるか図り知りません。我が國しかそれを云へる權利がないのですから。口先だけで、平和とか安全とかを唱へてそれが實現するなら苦労はありません。

 あ~あ、年末年始でやらうと思つてゐたことの三分の一も出来なかった。でも、リズムは創れました。明日から、日々のリアリズムとの對決です。樂しみだなあ。一年間、以下の言葉を忘れずに。

我、未だ潜龍なり!
確乎としてそれ抜くべからざるは潜龍なり(確乎不抜の志)
 潜龍用ふるべからず
年立つや 元の愚がまた 愚にかへる(小林一茶)
掃けば散り 祓へばまたも 散り積もる 庭の落葉も 己が心も
敵は己ただ一人、一生かかってこれに打ち勝て(福岡髙校テニス部キャプテン日誌より)


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このページは、宝徳 健が2018年1月 3日 19:38に書いたブログ記事です。

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