つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年四月十七日 六)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 よほど、憲法と云ふ名の文章でしかない、邪教 日本国憲法「典」を改正させてくないのでせう。そのためには安倍政權を倒さなくてはならないのでせう。ひどいひどい。メディアも野党も。そのメディアに騙されて、安倍内なくの支持率を下げてゐる、おバカな國民もひどいものです。「衆愚」。民主主義といふ幻想が最も恐れなければならないものです。

 森友問題なんかどうでもいい。それよりも、それに關連する、辻元清美と関西生コンの問題をなぜメディアは取り上げない。その理由は、實は、野党とメディアも森友問題なんかどうでもいいのです。狙いは國會空轉による憲法典改正阻止なのですから。

 確認しておきます。憲法と憲法典との違ひを理解しないと、憲法改正も立憲主義も語る資格はありません。憲法とは、国柄、歴史、文化を総称したものを云ひます。憲法典とは、それを文章化したものです。つまり、憲法典である 憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本國憲法(とよばれるもの)は、明らかに我が國の「國柄、歴史、文化」からはずれてゐます邪教 日本國憲法(典)は、實は、憲法違反なのです。

 かういふ正しい、眞理、眞實、事実で物を語り合ふ、昔の正しい日本の姿を早く取り戻しませうよ。そろそろ目を覺ましませんか?

 シビリアンコントロールの話もさうです。
 自衛隊の日報問題が、自衛隊トップである首相にも責任があるといいたげに。シビリアンコントロールなんだからと・・・。

 ふ~。

 シビリアンコントロールとは、他國との關係を、「外交」で行うのか「戰爭」で行うのかを文民が決めることです。もし假に、一度戰爭に入ってしまったら、あとは軍に任せる(ネガティブ・リスト 「これだけはやってはだめだ」といふ以外は、國際法(特に戰時國際法)に反していなければ軍の裁量で動くこと) 我が國のやうに 「これしかやってはいけない」といふポジティブ・リストだと、軍は危險にさらされて動きやうがありません。

 企業の社長が、いちいち、社員の日報で責任を取りますか?

 それと、我が國においては、なんと軍の日報が行政文書扱いなのです。

 産經新聞によると、12日の衆院安全保障委員会で、自民党の中谷議員(彼は、かつて自衛隊最精鋭の 習志野第一空挺團出身)がかう言つたさうです。

「日報には警備要領、弾藥の數、隊長、副隊長の分刻みの行動予定、さらには週間の業務予定表が書いてある。これをどんどん公開することが本当に良いことなのか。私がテロリストだったら最も欲しい情報だ」

 今回膨大な數の日報が開示されました。私が、他國の軍事關係者だつたら、また、もしテロリストだったら。この文章を解析し、日本軍の行動パターンを把握します。ポジティブリストと云ふおよそ軍にはあるまじき體制しか許されてゐない上に、戰闘行動まで把握されしまつては、戰ひやうがありません。

 通常、軍事文書は、一定期間は完全に不開示とし數十年後に開示します。日報と歯、現地部隊が上級部隊に對して行ふ日々の定期報告を指します。最前線の生の活動記録で、軍事的には「戰闘速報」に位置付けられそれがまとめられて「戰闘詳報」になり、そして、平和への教訓を含む「戰史」となります。
 
 それに對し、衛隊の日報は、他の省庁と同じ「行政文書」で扱はれます。みなさん、これでよいのですか?

 それに、過激派の枝野よ。お前らが、東日本大震災でハチャメチャやつたとき、自衛隊員は、なんの情報も與へられずに、原発の周りで四苦八苦してたんだぞ! あのとき、文書も書かせなかったのは誰だい。自衛隊員に満足に飯も食わせなかったのは誰だい。

 さらに、元 海將の 伊藤俊幸氏(現 金沢工業大学 虎ノ門大学院教授)が非常に興味深い記事を載せてくれました。

「日報問題は法令と矛盾しないか」

 我が國でも、將軍たちが、やうやくかうやつて發言できるやうになりました。喜ばしいことです。永い文章なので記事を添付しておきます。保存かプリントアウトして擴大してお讀みください。




 一體、國民は、メディアは、行政は、政治家は、自衛隊に何をしてもらいたいのか! 行政對應かい? 安全保障かい?

 こんなことをしてゐては、いざ有事の時に、自衛隊員が出撃拒否をする可能性だつてあります。こんな國に、なぜ、自分の命を懸けなければならないかと(實際には、かれらはそんなことはしないでせうが、餘りにも彼等がかはいさうです)。

 偉そうに主權者としてふりまいたいのなら、國民よ、もつと勉強しやう。俺たちがしつかりすれば、官僚もメディアも政治家も襟を正さずにはいられません。

 プラドが來てゐるのですね!!! サラリーマン時代 マドリッド出張の際に行きました。
プラド美術館

 國立西洋美術館で、プラド美術展が開催されてゐます。

《王太子バルタサール・カルロス騎馬像》

 まあ、西洋美術です。ほとんどが人間主體の作品です。でも、行きたいなあ。時間がないなあ・・・。

 愛知縣津島市に天王川公園があります。夏には天王祭りが開かれます。勇壮なお祭りです。
天王川祭り に対する画像結果

天王川祭り に対する画像結果
 昔はこんなのでした。今は、公園の池となつてゐますが、かつては、海とつながってゐました。この海の利權を押さえて、のしあがってきたのが織田家です。

 その天王川公園の藤棚が見事です。そろそろですね。幻想的です。

天王川公園 藤棚 写真 に対する画像結果

 一度是非 をはり

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7553

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2018年4月17日 02:35に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「源氏物語 再12(皇紀弐千六百七十八年四月十七日 五)」です。

次のブログ記事は「楠木三代考 5(皇紀弐千六百七十八年四月十七日 七)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。