おほみうた 明治百五十年(皇紀弐千六百七十八年五月七日 弐)

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 明治百五十年ですね。「おほみうた みうたに ゆかしき 明治のこころ」。シラスといふ我が國の國體そのものです。シラスといふ本來の國體、聖德太子の十七条憲法、五か条の御誓文、教育勅語、大日本帝國憲法、これらが本來の我が國の憲法です。

 例へば、憲法典である大日本帝國憲法には、「主權」「人權」と云ふ言葉がありません。今の、我が國のおバカな「憲法典學者(憲法学者ではありません。我が國に眞の憲法學者などほんの一握りしかいません)」は、この言葉が入っていないことから、大日本帝國憲法は、欠陥憲法と云ひます。この事實からも、今のおバカな憲法典學者は、憲法と憲法典の違いさへわかっていないことがわかります(司法界の人間も全く理解してゐません)。

 明治人たちは、歐米に挑戰します。「どうですか? 先進國と云はれる、歐米のみなさん、私たちの憲法典には「主權」「人權」が入ってゐません。我が國には、こんな言葉は不要なのです。みなさんより古い歴史を、こんな言葉なしに保ってきた、みなさんより古い國民國家なんですよ」と。
 
 これが、大日本帝國憲法なのです。大日本憲法の内容がどうのこうのと論じる必要はありません(もちろん改定は都度必要です)。官僚たちによる「運用」の過ちこそ、私たちは今、學習する必要があります。すべては「運用」を經て「習律」にしていくことなのです。

 シリーズで明治天皇の御製などを學習しながら、我が國の文化文明、歴史、習慣等の本來の「憲法」を私たちの習律として參りませう。
神祇

わがくには 神のすゑなり 神まつる 昔のてぶり わするなよゆめ


 我が國は、神の後裔である。神を祀るといふ昔からのならはしを決しておろそかにしてはいけない。

 なので、敗戰前は、我が國には、「祭日」がありました。GHQ(進駐軍としないでください。占領軍です)は、皇室と國民を切り離したくて、祭日をなくし「祝日」にしました。

建國記念日・・・紀元節です。
春分の日・・・・・春季皇霊祭です。
昭和の日・・・・・昭和節です。
秋分の日・・・・・秋季皇霊祭
文化の日・・・・・明治節
勤労感謝の日・新嘗祭
天皇誕生日・・・天長節

 書いていて腹が立ちます。明治百五十年です。もう一度我が國體を! そろそろ目を覺ましませんか!



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このページは、宝徳 健が2018年5月 6日 19:37に書いたブログ記事です。

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