麦秋至(皇紀弐千六百七十八年五月三十一日 弐)

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 今日から、七十二候 小満 末候 麦秋至です。「むぎのときいたる」と讀みます。

 道路を走ってゐると、我が國で一番美しい田園風景の季節ですね。その一部に麦畑がときどき。麦が熟し、たつぷりと金色の穂をつける頃です。春ですが、麦にとっては収穫の「秋」です。この時期に穂を揺らしながら吹き渡る風を麦嵐。降る雨を麦雨と呼びます。昔の人は素敵ですね。自然と共生してゐるので、情緒や言葉が豐かです。
病人の かごも過ぎけり 麦の秋(与謝蕪村)

麦秋や 子を負いながら いはし売(小林一茶)

馬柵(うませ)越しに 麦食(は)む駒の 罵(の)らゆれど なほし戀しく 思ひかねつも(萬葉集)


 日本書紀 神代 上第五段にある話です。保食(うけもちの)神が亡くなったときに、軆體のあちこちから粟(あわ)、稗(ひえ)、麦、豆、稻が出てきました。それを、天照大神が「この世に生きる人間の食物」と云はれたさうです。この五つがいはゆる五穀です。天子樣は、常に私たち臣民が飢えないやうに氣をお配りになられてゐました。

 五穀豊穣。素敵な國 我が國 日本。日本人に生まれてよかった。

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このページは、宝徳 健が2018年5月31日 06:21に書いたブログ記事です。

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