つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年六月三日 參)

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 昨日の産經新聞は面白かった。今朝のはまだ讀んでゐません。明日は、かみさんの誕生日です。明日は、仕事でお祝ひができないので、今日、昼食を摂りにいきます。そのとき賈ひます。

 さて、昨日の産經新聞と息子からの情報も基に今日のつれづれなるままにを書きます。
 まずは、「定年再雇用の賃下げ容認」最髙裁初判斷「格差 不合理ではない」

 勞働契約法に關する判決です。まあ、ぎりぎり踏みとどまったといふ感じですが。これでも、契約社員を優遇しすぎてゐます。くやしいんなら、努力して成長して正社員になればいい。勞働法規は天下の惡法です。國から待遇を法律で保障されないと働けない。恥ずかしいと主思はないのだらうか?

一軆獨立して、一國獨立す
國を支えて、國を頼らず(福澤諭吉先生)

 財務省は、見事ですね(皮肉の表現です)。今囘の財務省人事では、事務次官に星野主税局長でした。一連の事件で、本命を護りました。星野次官は昭和五十八年入省です。同期の岡本主計局長が本命でした。それと矢野官房長。この二人を今、矢面に立てたくない。岡本-矢野ラインを消費税増税に向けて温存したい財務省は、必死にこれを護りました。通常、同期がひとつステップアップすると出来なかった同期は、退任します(局長以上)。今囘は、同期連續次官が實現しますね。みなさん、覺へておいてください。

岡本薫明主税局長
矢野康治官房長

 消費税増税と云ふ國を破壊する場面で必ず出てきます。見張りませう。

 この記事が一番面白かった。

野口遵(のぐち したがう)

と云ふ偉人をご存知ですか?

野口遵

 朝鮮半島が日本だつたとき、北朝鮮に世界最大のコンビナートを創った人です。壓倒的な工業力でした。そんなことは今の日本では教えない。學校で教える我が國の近現代史は、ほとんど嘘です。

 朝鮮も臺灣も日本でした。ものすごく大きな國だつたのです。

 學生時代、友人のYTJと支那に個人旅行に行きました。當時は、日本國内ではビザはとれませんでした。香港に飛んで支那のビザを取得しました。入ってみてびっくりしたことは、夜、電氣がつかないことです。電力不足とはかういふことです。 

 今、衛生寫眞で朝鮮半島をとらへたら、まっくらな北朝鮮と明るい韓國の対比がくつきりとわらはれます。

 記事によると、2014年の北朝鮮の發電設備容量は725萬キロワットで韓國の7.8%、実際の総發電量は、韓國の4.3%です。

 日本統治時代の北部朝鮮は、「電力王國」でした。日本人が人が容易に立ち入れない急峻な山地に奥深く分け入り、次々と水力發電所をつくっていったからです。

 1基あたりの出力が當時世界最高の10萬キロワットの發電所がなんと7期ありました。それを朝鮮半島と満洲に供給してゐました。電力とは産業と生活の基本です。

 國内でも、10万萬。

 最終的には、敗戰時には、173萬キロワット、工事中の發電所を加えるとなんと300萬キロワットでした。

 そして、その電力供給を受けて、野口遵が、作ったのが一大化学コンビナートでした。日窒(にっちつ)コンチェルンです。日本窒素肥料(現日本チッソ)が中核です。この遺産を今の北朝鮮は食いつぶしました。共産主義と云ふのは、生産活動をしません。生産活動をしてゐる

金持ちをぶち殺して自分たちの活動資金とする

のが、共産主義だからです。いつも食いつぶすだけです。

 朝鮮に戸籍を、移してまで野口遵は朝鮮を愛しました。昭和十九年七十歳で亡くなります。遺産は、生涯ささげた化学研究と朝鮮留學生のための奨學金に充てられました。朝鮮人に我が國統治時代をとやかくいはれたくありません。

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このページは、宝徳 健が2018年6月 3日 07:31に書いたブログ記事です。

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