カウンセリングの技法 再48(皇紀弐千六百七十八年六月七日 五)

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 カウンセリングには三段階がありました(20101230)。

①リレーションをつくる
②問題の核心をつかむ
③適切な処置をする  リレーションを作るために「受容と支持」が必要でした。問題の核心をつかむために「繰り返し」「明確化」「質問」を勉強しました。適切な処理をするために、情報提供とアドバイスがありました。これがカウンセリング体系です。

 前回から、面接後期の諸問題です。
 

症状緩和

 面接初期に提起した問題(例:勉強嫌い、赤面恐怖、不和など)が解消あるいは軽減すると他の面においても変化の出てくることが多くなります。

「ねばならぬ」からの開放

 問題を抱えて困っているときは、たいてい何らかの「ねばならぬ」にとらわれています。「もっとやさしい女性にならねばならぬ」「部長職とはこうなければならない」「子供に門限を守らせねばならない」などなど。つまり、超自我に監視・束縛されて身動きがとれないのです。

 ところが面接がすすむにつれて、そんなに力まなくてもよい、というように自他に対してリベラルになります。リラックスしてきます。特定の文化に縛られなくなるといってもいいのです。暑いときに、「先生、暑いですね。窓でも開けませんか」というようになります。「先生の部屋の窓の開閉に口出しすべきではない」というとらわれから解放され、自分の自然な感情に忠実になります。

 禅の名僧 白隠禅師がかつて何かのことで泣きました。「悟りを開いた僧侶は泣くべきでない」と思っている弟子が「なぜ、先生は泣くのか」と問いました。すると、白隠禅師は怒って「泣きたいときに泣いて何が悪いか!」と言いました。

 これまた禅の名僧、博多の仙厓和尚の話です。仙厓和尚が臨終を迎えました。周りの人間は、これだけの名僧なのだから、死は怖くないだろうと思って、仙厓和尚に聴きました。「仙厓さま、死ぬのは怖くないですか?」と。すると仙厓和尚が答えました「怖い怖い」と。みんなはがっかりしたとさ。

 禅では、この「囚われる」ことが人間の苦しみを生むとされます。

 多かれ少なかれ人間は、自分の知識や経験から囚われてしまう心を持ちます。これをパラダイムといいます。それが、イラショナル・ビリーフ(非合理的信念)を形成し、自分も他人も苦しめてしまいます。カウンセリングとはこの囚われからの解放と言ってもいいでしょう。

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このページは、宝徳 健が2018年6月 8日 06:08に書いたブログ記事です。

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