福岡髙校テニス部日誌 S2(皇紀弐千六百七十八年六月五日)

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 今日から、新しい部誌です。今まで書いていた部誌が新しいノートになりました。昭和五十二年四月二十五日~十一月十五日です。

 私たちがインターハイに行った年です。六月四日にインターハイ出場を決めました。その後は、部活の政權を弐年生に譲りましたので、あとは八月のインターハイに向けて調整するだけでした。

 なので、一年生のことはあまり覺へていないのかなあと思ひながら部誌を讀んでゐたら、結構覺へてゐました。もう、私たちの代が主役ではありませんので、氣樂に書けさうです。

 トップバッターは二年生の寺田君です。吉倉さんとは、私たちの一つ上の先輩です。

 4月25日 (月) くもり 寺田

 部誌がまた新しくなった。そして、僕が一番最初のページを今書いている。これは名誉だ。字を美しく書かなくては。

 昨日は、大濠との練習試合だった。戦績を書くのはやめとこう。めんどくさい。

 試合の方は3時頃から雨が降り出して途中で終わりみんなそれぞれ早く帰った。僕も森の"悪への誘惑"につられいい所に行った。森はいけない。友達を誘っておきながら、話しかけても何も返事をしない。ただただ目を輝かし硬直していた。

 それから、だっちんが気象台の上で雨ごいをすれば面白いことがおこっていたのに。

 今日は、みんなが疲れていたので東公園でラグビーをした。草もちょうどいいぐらいにはえていたのでいたくないのか、みんなタックルを盛んにやっていた。四年生の吉倉さんも一緒に戦った。今年の一年は、こわい。走っとったら二、三人でたかってくる。それから、だっちんが宝徳さんに突進して死んでもうた。あほや。

 吉倉さんもいて丁度よかったのに、とうとう生き返ったらしい。それから埜田さんもけがをした。早く治ってもらわなくては困る。がんばって早く治してください。 おわり。

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このページは、宝徳 健が2018年6月 5日 06:16に書いたブログ記事です。

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