Tennis Diary この本に自己の発掘をせよ 6(皇紀弐千六百七十八年六月十二日 弐)

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 自分の日誌を公開することは例へ十五歳の時の者であつてもとてもはづかしいですね(笑)。

 この時期は、ちやうど中學浪人の時期です。中學時代は、軟式テニスをしてゐました。筑豊大會で優勝して、縣大會に出場しました。まだ、インターミドルが盛んではなかったので、縣大會が最高峰の大會でした。

 野球部ばかりをかはいがりテニス部を目の敵にしてゐた、井上校長は、このときとばかり褒めてくれました。テニス部の他に縣大會に出場したクラブはありませんでした。

 そして、中学浪人のときに、硬式テニスを始めました。だから、まだ、初心者です。なのにこんなに偉さうに書いてゐます。顔が赤くなります。

 どうやら私は軟式テニスをしてゐる頃から硬式テニスが視野にはいつていたみたいです。將來の夢に「デビスカップをとる」と書いた覺へがあります。

 そうそう、秦との確執の件、次囘からまた書きますね。

 仲の良いやつらと中學三年生の時に勉強會(受驗にむけて)を始めました。まあ、他の生徒や先生から見れば、ちょっと怖いやつらもたくさん。特に當時、江藤君は、學校で一番強かった。「宝徳、勉強を教えろ」と、江藤君。それから勉強會がはじまりました。それが氣に食はない秦。スケールの小さな、女の腐ったようなやつでした。

 では、日誌。
8/28
 しばらくテニスをしていない。やっぱり受験期はつらい。したいことがぞんぶんにできないことが、こんなにつらことだったとは思わなかった。高校に入ってから
テニスの練習だけでなく、なにごとにおいてもつらいと思ったときは、したいことをできないつらさがあるのだということを思い出そう。ああ、早く高校合格の日がこないかなあ。

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このページは、宝徳 健が2018年6月12日 07:58に書いたブログ記事です。

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