端午の節句 2(皇紀弐千六百七十八年五月五日 八)

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 あ~、いいなあ。ルーティンして、手紙書いて、本を讀んで、仕事をして。出張中だとどうしても人生のディフェンスが崩れがちです。かててくはへて、事故後の體力低減が疲れを誘發します。これまで休日を取るといふ頭がありませんでしたが、今は、休日のありがたみをひしひしと感じてゐます。

 端午の節句の續きです。

ととぎす 鳴くや五月(さつき)の 菖蒲(あやめぐさ) 菖蒲も知らぬ 戀もするかな

 古今和歌集だつけな。確か詠み人知らず。

 菖蒲は、古代支那でも重宝されてゐます。我が國、奈良時代でも。

 けふを端午とする風習は、3世紀の支那の、楚で始まったとされています。

 楚の国王の側近であった屈原は人望を集めた政治家でしたが、失脚し失意の うちに川に身を投げます。彼を慕う民衆が、彼が身を投げた汨羅江(べきらこう)に粽を投げ入れて供養したこと、また、屈原の亡骸を魚が食らわないよう魚の 餌としたものがちまきの由来とされています。



 屈原の死後、王を諫める者はなく、楚は日ごとに領地を削られ、秦に滅ぼされてしまひました。

 人間はいつの時代も變はらいのですね。

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このページは、宝徳 健が2018年5月 5日 06:50に書いたブログ記事です。

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