本(皇紀弐千六百七十八年五月五日 九)

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 ああ、樂しい。繰り返し紹介する本もありますが・・・。



 お亡くなりになりましたが、その功績は他の追随を許しません。宮脇淳子先生のご主人です。内容の紹介は割愛します。興味のある方は、ネットででも檢索してください。

 司馬遼太郎、山崎豊子、吉村昭、城山三郎、半藤一利、阿川弘之などに騙されてしまつた私は、岡田先生であれどお100%著者を信じることはやめにしてゐます。それでも、この本は素晴らしい。岡田先生は「私のことを信じる信じないではなく多面的な見方をする「自分の力」をつけることが大切なんだ」と、その數ある御著書の中で仰います。この本もその一つです。

 シェイクスピアをを樂しむために。














 阿刀田高と云ふ人はなんでこんなに面白いのか。讀破が困難な古典をいつもわかりやすくしてくれます。阿刀田高さんの本から讀み始めてから着手した古典のなんと多いこと。

検証 検察庁の近現代史


 三權分立を學校で習いました。立法、司法、行政がそれぞれバランスと取った權力構造を創り出すことです。では、檢察とはこの三つのどこに位置しますか? 行政なんです。裁判所が司法です。

 では、裁判とは何か。裁判所と云ふ司法が、檢察といふ行政のやり方に誤りがなかつたかをチェックする事なのです。だから、例へば、刑事裁判において、判決を下すことが裁判所の目的ではなく、檢察の仕事に誤りがなかったかが目的です。なのに、檢察が起訴したもののうち、有罪になるのが99.9%・・・・・。つまり、本末轉倒だといふこと。これを、倉山満が見事に立證してゐます。これは讀んだはうがいいですね~。

 まだまだ讀みます。

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このページは、宝徳 健が2018年5月 5日 07:06に書いたブログ記事です。

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