命の手紙 95(皇紀弐千六百七十八年六月七日 參)

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 今年九十一歳になる親父が自分の人生を遺そうと、定期的に手紙を送ってきます。それを、私は、ブログに遺します。

 海軍のつづきです。
 昭和17年まで豫科練は本籍地でしか受験できなかった。外地(朝鮮・満州・台湾)に住む者‐ボクの場合は福井県に行って受験しなければならなかった。昭和19年に受験したボクは外地で受験2期生だ。


 七つ釦の豫科練第一種軍装(冬服)

 第二種軍装は夏服で純白。とてもかっこういい。略服がありいわゆる国防服の色をしている。

 靴は短靴。遍上靴は海に落ちたときにすぐ脱げないので使わない。ズボンをとめるのはサスペンダー。沈没したときは海中ですぐに外せる。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年6月 6日 22:16に書いたブログ記事です。

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