戰國策 再89(皇紀弐千六百七十八年六月八日 四)

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 中国古代、戦国時代のことがかかれた「戦国策」を紹介しています。今日から、「韓」の国の逸話です。韓は、中国のちょうど中間にありました。そのため、列強に囲まれて外交政策に普請し、強くなれませんでした。韓非子はこの国出身です。韓非子は叫びました「外交ばかりに気をとられて内政の充実を忘れるとは!」(20100306)

 戦国七雄という言葉があります。戦国時代に生き残った七つの国です。秦、魏、趙、燕、斉、楚、韓です。その中で韓は一番早く滅びました。

 今日のテーマは「鶏口となるも、牛後となるなかれ」です。中学か高校の国語の教科書に載っていましたね。それと、ものすごく懐かしい名前「蘇秦(そしん)」が出てきます。この戦国策を書き始めの頃に登場した人物です。中国戦国時代のトップ外交官であり政治家であり。各国をまわって秦に対抗する六国同盟(合従連合:がっしょうれんごう)を実現させます。
 韓の西隣の秦がしだいに強大となり、韓はその侵略におののいていました。韓のある王が即位した年、蘇秦が乗り込んできたのです。趙王の内意を受け、秦に対抗する同盟(合従連合)を結ぼうと説得にきたのです。

 蘇秦は、趙のために合従を図ろうとして韓王に説きました。

「韓は、北に東西南北に様々な要地・要塞がございます。領土千里四方、兵卒数十万の大国です。天下最強の弓や弩(ど)はみな韓で作られています。つわものもそろっています。兵も武器も大変充実しています。

 そもそも、国力強大で賢明な大王をいただく国が、おめおめ秦の属国となりさがる。これ以上の国辱、笑いものはありません。ここは一番、熟考あってしかるべきでしょう。

 大王が秦に仕えるなら、秦は必ず土地を要求します。今年それを与えれば、来年は、さらに多くの土地を要求してきましょう。毎年、土地を与えれば、来年は、さらに多くの土地を要求してきましょう。そして、ついには、与える土地がなくなりましょう。『鶏口となるも、牛後となるなかれ』といいますが、おめおめ秦に仕えれば、まったく牛後と異なりません。強力な兵を擁しながら牛後の汚名を着せられる。大王のために恥ずかしく思います。」

 韓王は、さっと顔色を変え、ひじを張って刀の柄に手をかけて、天を仰いで嘆息しました。

「死んでも秦には仕えまいぞ。趙王からの教えをお伝えくださったが、国を挙げて従いたい」

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このページは、宝徳 健が2018年6月 9日 06:02に書いたブログ記事です。

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