貞観政要 再1(皇紀弐千六百七十八年六月十六日 八)

| コメント(0) | トラックバック(0)
  新シリーズの再生版を書きますね。原文のまま添付しますが、一時、ブログが壊れていたときの記事があって、スタートから書けません。お詫びします。

 当時の宮中には、何千人という女性が太宗の生活のために仕えていました。絶対者である皇帝に跡継がなければ国が滅ぶからです。子孫を残すことも、皇帝の 仕事でした。時には一万人にものぼったといわれています。それはどう考えても無駄ですよね。たった一人の人間に何千人もの妻が必要なわけがありません(20090504)。

 太宗はこれをかわいそうと考え、三千人の宮女を家に帰しました。
 でも、残念ながら、太宗の死後、唐の宮室にはまた多数の宮女が召しだされるようになりました。六代皇帝玄宗の代はそれがもとで乱が起きてきます。有名な 楊貴妃ですね。

 さて、今日は「なぜ沈黙するのか」です。

  貞観十五年、太宗が魏徴に尋ねました。

「近頃、臣下のなかにとんと意見を申し述べる者が見当たらない。いったいどうしたことじゃ」

 魏徴が答えました。

「陛下は虚心になって臣下の意見に耳を傾けてこられました。どしどし意見を申し述べる者があってしかるべきところです。古人も「信頼されていないの に諫言すれば、アラ探しばかりする奴だと思われる。しかし信頼されているのに諫言しないのは、禄盗人だ」と語っています。しかしながら、同じように沈黙を 守るにしても、人それぞれに理由が異なっています。意志の弱い者は、心で思っていても、口に出して言うことはできません。平素、お側に仕えたことがない者 は、信頼のないことを恐れて、めったなことを口にできません。また、地位に恋々としている者は、へたなことを口にしたらせっかくの地位を失うのではないか と、これまた積極的に発言しようとしません。皆がひたすら口を閉じて沈黙を守っているのは、これがためであります」

太宗が言った。

「まことにそなたの申すとおりだ。わたしはいつもそのことを反省している。臣下が君主を諌めるには、死を覚悟してかからなければならぬ。それは、刑 場に引き立てられたり、敵軍の只中に突入したりするのと、いささかの変わりもない。忠義の臣は、もともと諫言する意欲はあるのだが、それを実行する者がき わめて少ないのは、さような理由であろう。昔、聖天子の禹が、臣下から道理のあることばを聞くたびに、うやうやしく拝聴したのは、そのためであったにちが いない。私はこれからも広く胸襟を開いて諫言に耳を傾けるつもりである。どうかそちたちも、いらぬ心配をしないで、どしどし意見を述べてほしい」

【所感:宝徳(私見です。参考本とは関係ありません)】
 この風通しの良い組織というのは、口で言うのは簡単ですが、やろうとすると大変なものです。上司と部下の両方によほどの度量がないとうまく行きません。 ひとついえることは、上司は一人、部下は数人であるということ。であれは、上司の考えていることを見抜く力が部下に求められます。上司の心を読み取った上 で、それにこちらの意見を当てはめることが大切です。そういう部下の言うことは上司はよく聞きます。上司は、ずぼしをさされたときに、それを受け入れる度 量があるかどうか。これが大切です。黙り込んだ会議、後で、ぐずぐず言う風土。合意していないことに合意したふりをすること。
 よくあるこのようなシーンを経営者はどのように解決する環境整備をするか。永遠のそして常の課題ですね。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7730

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2018年6月16日 22:34に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「源氏物語 再40(皇紀弐千六百七十八年六月十六日 七)」です。

次のブログ記事は「つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年六月十六日 九)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。