貞観政要 再6(皇紀弐千六百七十八年六月二十九日 四)

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 今日は「上書は激切多し」です(20090628)。
 貞観八年、陜県(せんけん)の副知事・皇甫徳参(こうほとくさん)という者が上書を奉ったところ、太宗の逆鱗にふれ、処罰されそうになりました。

 それを知って、魏徴(ぎちょう)が進言しました。

「昔、漢の賈誼(かぎ)という人間が、文帝に上書したときも「痛哭すべきもの一、長嘆すべきもの六」と激しく国政の非を鳴らしました。上書というも のは、古来、手厳しいものであります。そうでなければ、君主の心を動かすことができません。手厳しさは、ために非難に似ております。徳参の場合、そのいず れであるか、どうかよくご検討ください」

「よくぞ申してくれた」

 太宗はそういって、徳参に絹二十段をたまわった。

【所感:宝徳(これは私見です)参考の本とはまったく違う解説です。】
 人間は権力を持つと同じ行動をします。それが特にカリスマであればあるほど。自分の耳に痛い言葉を述べるものを遠ざけるのです。時には殺してしまいま す。毛沢東しかり、スターリンしかり。日本には天皇家があったので、カリスマが存在しませんでした。だから大規模な粛清はおきていません。
 太宗は、すごいですね。中小零細企業の経営者は、その組織内と限定されながらも、大企業と比べ物にならないぐらいの権力を握っています。このことに気づ いていない人が意外と多いのです。諫言を述べてくれる社員の育成、採用は、企業を大きくしようとすれば必ず必要となります。

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このページは、宝徳 健が2018年6月29日 11:15に書いたブログ記事です。

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