福岡髙校テニス部日誌 S(皇紀弐千六百七十八年六月四日)

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 この記事から明日のルーティンです。おそらく明朝はブログを書くことが出来ません。やはり、土日のどちらかが休み(?)ではなく、在宅勤務ができると助かります。きれいに仕事が整理できます。軆體も休められるし。

 さあ、このノートの部誌は今回で終わります。昭和五十一年九月三十日~昭和五十二年四月二十日の部誌です。

 私たちの誇りの日誌です。私たちには、コーチも監督もいませんでした。その中で全國大會に出場しました。本當に辛かった。髙校スポーツで指導者がいない。これほど苦しいことはありません。でも、勉強になりました。その後の私の人生の基盤が創り上げられました。いや、このころの方が光ってゐます。その光を忘れないためにブログに書き綴ってゐます。

 髙校入學時に、父と母に傳へました。「僕はインターハイに行く。インターハイが終はつたら死にものぐるいでべんきょうする。だから、それまでは成績には目をつぶってくれ」と。「インターハイに行きたい」とは一度も言ったことがありません。行かなかったら自分の次の日からの人生はないと思つてゐました。

 どんなに練習で苦しくても試合で敗けることよりはよほどましでした。だから、「もつと苦しくなれ、持つと苦しくなれ」と思ひながら練習をしてゐました。また、個人スポーツの團體戰とは髙校生がガバナンス出来る世界ではありません(特に全國に行こうとすると)。私はきつとみんなから恨まれてゐたでせう。

 さあ、このノートの部誌の最終囘。木下君です。運動神経に優れてゐました。私の次の次のキャプ連です。
 
 4月20日(水) くもり 木下

欠席者 安河内A

練習内容
 ストローク   2・3年
 1と1/2    3年
 2:1
 サーブ×100
 球出し 1年
 ロブひろい

感想
 本日、初打ちをやらしていただいた。何事も初体験というのは緊張するもので大へん緊張して自分の考えた軌跡とボールの軌跡とのはなはだしいアンバランス!!

 ランニングで東公園の大回りと小回りをそれぞれ1周。かなりきつかった。先輩は走っている途中に話しかけたりしてサスガだねーーー。

 一年が一人やめたそうです。理由は練習がきついということらしい。先輩の話ではこれからがきついということです。

前途多難

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このページは、宝徳 健が2018年6月 3日 15:28に書いたブログ記事です。

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