源氏物語 再50(皇紀弐千六百七十八年七月四日 參)

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 さて、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)です。皇太子の妻にまでなつた人です(皇太子は早世した)。光源氏も、この最上級の女性のところには、一時期足しげく通つてゐました。藤壺への満たされない思ひに替へやうと(20170314)。

 でも最近はご無沙汰です。手紙のやり取りさへあまりありません。辛い日々です。

 娘が伊勢神宮の斎宮(さいぐう:帝に替はつて神に奉仕する立場)に任じられたので「あ~あ、都にいてもしかたがないから、私も伊勢に行かうかしら」。

 でも、光源氏への未練があり、なかなか踏ん切りがつきません。
 光源氏は公務多忙。くはへて、葵の上の體調がすぐれず、左大臣家に留まり續けてゐます。大好きな紫の上のところへもあまり帰れません。

 この折、弘徽殿女御(こきでんのにょうご:光源氏の政敵:皇太后)の三女が、賀茂神社の斎院に任じられました。就任の儀式はまことに盛大で、賑やかでした。みんながそれを見物しやうとして、とりわけ女房たちはおの行事に奉仕する光源氏の晴れ姿をみやうとして牛車を繰り出し、都は通行もままらなないことになりました。

 六条御息所は、「行けばお顔が見られて氣やすめになるかしら」と、お忍びで目立たたないところに牛車を止めてゐました。

 葵の上は、體調が惡いため行きたくなかつたのですが、周りの女房や母にすすめられて見物へと繰り出しました。

 遅れてきた葵上の牛車は止める場所が見つけにくい。

 共の者が「あのあたりに止めやう」と、そこに止まつてゐた牛車に「立ち退いてくれよ」と云ひました。それが、六条御息所の牛車だつたのです。

 普通、位の髙い方へ譲るのですが、まさか、六条御息所の牛車がそんなところにいるとは思ひません。

 共同士がけんかを始めます。つひに、御息所の牛車が追い出されてしまひました。

 後でこのことを知つた光源氏が、六条御息所の家へ詫びに行きますが、御息所は逢はうともしません。

 さあ、この展開はどうなるのでせうか。

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このページは、宝徳 健が2018年7月 3日 21:04に書いたブログ記事です。

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