Tennis Diary この本に自己の発掘をせよ 14(皇紀弐千六百七十八年七月一日 四)

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 髙校時代は1年6組、2年6組、3年1組(理系)でした。1年は中村先生(數學)、3年は犬丸先生(體育)、2年・・・・・覺へてゐません。

 同窓會などでみんなと話をしてゐると、髙校時代をエンジョイし、だからこそ、よく覺へてゐるんですよね~。誰と誰が付き合っていたとか、何組の誰と一緒だったとか。私は、中學が區域外の上、テニスばかりしていたので、髙校時代の思ひ出と云へば、テニス以外は、とにかく腹が減って仕方がないといふことしかありません。早弁もよくしてゐました。

 母がいつも「お米が60キロあっても1か月もたない!」と叫んでゐました。五人家族です。ものすごい大きなタッパふたつのひとつに米をギューギュー詰めしてもらいます。もうひととはおかずを山盛り。それでも、カバンの中に横に入れて持っていくので、上部に隙間ができます。食べるとき、悲しくて悲しくてしかたがなかったのを覺へてゐます。帰って、母に「隙間ができないように詰めて」といふと、「これ以上はもう入らないわよ」と云はれました。パン食の時は母は、あのながーーーーい、一本の食パンをすべてサンドイッチにしてくれます。

 さて一時間目の休み時間10分。食堂に行ってパンと牛乳。二時間目の休み時間10分。母の弁当、三時間目の休み時間25分(食堂でカレーライスと定食とラーメン)、四時間目の休み時間35分 昼寝、五時間目の休み時間10分 食堂でパンと牛乳。部活終り パンと牛乳かうどんかラーメン。家に帰って、どんぶり飯4杯でした。朝飯ももちろん家で食べますから1日7食。テニス以外ではいつも食べることばかり考へてゐました。とにかく腹が減りました。

 閑話休題。秋の新人戰 中部地區大會が近づいてゐます。相手は、2年生(3年は引退している)。こちらはきちんとした硬式テニス歴がまだ半年を經てゐません。それも勝つ。と、思ひ込んでゐます。

 この頃から3年生に勝つようになってきました。この記事は、十七歳當時の私と対決してゐるので、すべての日誌をご紹介してゐるわけではありません。彼と勝負出來る内容の時の日を書いてゐます。

 では、日誌を。
 
 9/17
 試合まであと3日。雨ばかりで思うように練習ができない。今度の試合はただの試合ではない。この前負けたのに齋藤先生の力でまたシードにしてもらった。相手が誰であろうと2回戦や3回戦でまけるわけにはいかない。必ず勝つ。それに次の日(9/22)は大切な日である。だからといってリキんではいけない。練習の時に燃やす闘志、ボールを追いかける執念で戦うことだ。グリップをすこしあつめに、持ってみた。明日はそれでストロークをしてみよう。

サービス
1.体にはインパクトの時だけ力を入れること
2.トスを正確に
3.膝の屈伸を利用
4.ボールをよく見る(顔が残るぐらい)

スマッシュ
1.うつときに伸び上がること(打つ前には伸び上がらないこと)
2.ボールをよく見る

練習内容
18日
サービス 100本
セカンドサービス コース打ち
フォアハンドの素振り(フットワークも) 200回
バックハンドの素振り(フットワークも) 100回
スマッシュ

19日
サービス 100本
セカンドサービス コース打ち
フォアハンドの素振り(フットワークも) 200回
バックハンドの素振り(フットワークも) 100回
スマッシュ
ボレー

あとすること
セカンドサービスのコーナー狙い
パッシングショットの練習
スマッシュを確実に
サービスダッシュで得点する方法の研究
バックハンドクロスの威力増進
フォアハンドクロスの確実性増進

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このページは、宝徳 健が2018年6月30日 17:19に書いたブログ記事です。

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