Tennis Diary この本に自己の発掘をせよ 5(皇紀弐千六百七十八年六月九日 弐)

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 自分を振り返るといふのは樂しいものですね。過去の自分に感謝。
 
 IKさんの會社の理念は、「過去を尊び、今を樂しみ、未來を創る」です。ものすごくよい理念です。

 IKさんがいつも云ふのは「過去は尊ぶもので、こだわるものではない」です。こだわると、パラダイムに自分が縛られてしまひ、人間の成長が止まります。氣をつけないと。

 母は祖母と嫁姑の確執から、軆體をひどく壊してしまひました。最初に行った醫者が惡るかった。ステロイドを大量に投與され、命の危險がありました。全軆リウマチです。當時は、治療のしやうがなかつたのですが、まずは、このステロイドを抜く必要がありました。母は父に云ひました。「このままでは死んでしまふので、子供たちと一緒に九州に帰ります。申し譯ありませんが別れてください」と。父は「家族と一緒にいられない人生など考へられない、俺も一緒に行く」と答へました。父は、仕事が絶頂期です。給料袋をもらってくるたびに給料があがってゐました。給料袋を母に渡すときのあのうれしさうな顔(^^♪。

 毎月もらうときの母のびっくりした顔(^^♪。今でも覺へてゐます。それを捨てて、福岡へ。父は、なんとか仕事を探し再就職。思ふやうな仕事ではなく、「何度、家族に一緒に死んでくれと、言はうと思ったか」と後から聞かされました。

 私達、姉弟妹は、幸せです。こんな強い、父と母に育てられました。

 その時期は、本當に貧しかった。靴下は一足しかありません。帰ったらすぐに脱いで母に渡します。母は洗濯をします。でも、ミジメとかひもじいとかを感じたことはありませんでした。そんな中でも嚴しい父、子供のしつけ以外は宇宙のように廣く優しい母。おいしい、おやつと食事(あの家計の中でどうしていたのだらうか???)。これが本當の豐さなのでせうね。

 ある日、私が道端で50圓を拾つて母に渡したとき、目が輝いてゐました。それほど貧しかった(笑)。

 まだまだ、親には勝てんなあ。いくつになったら・・・。でも、だから、逆境に負けない自分ができました。母はいつも「勝て」とは云ひませんでした。「負けてはいけない」「人をうらやんではいけない」でした。ああ、十五歳の私にだけではなく、父と母の人生にもまう一度鍛えてもらふ必要がありますね。

 私は、息子にとってそんな父親になつているのだらうか?

 さて、Tennis Diary。中學浪人のぶんざいで、福岡まで(當時は、遠賀郡芦屋町に住んでいた)インターハイを観に行ってゐます。もう、自分がインターハイに行くといふ決心をしてゐますね。潜龍です。しかしまあ、硬式テニス初心者がよくこんなことを書いています(笑)。恥づかしい。福井さんとは、大學生になつてから運命の出逢ひがあります。
8/8 インターハイ決勝を観て

 福井選手は強い。甲南の吉田はボレーがうまかった。しかし、ネットに出るということは得点にはつながりやすいが危険性が高い。そのために吉田は自滅したように見えた。

 福井選手の弱点と思われるところはバックハンドが弱いようだ。だからサービスレシーブの時にバックをかばいすぎる。バックコートプレイヤーなので土のコートではいいかもしれないが、グラス、コンクリートこーとなどでは彼のストロークが通用するかどうか。つまりボレーはうまいがネットプレーが弱い。野性的なカンとでもいうのだろうか、それがないように見えた。

 しかし、彼は強い。試合が始まるとまず、ポイントのことを考える前に自分のペースにしてしまうことを考えているようだ。試合中吉田はそれが見破れなかったらしい。福井選手のアジアでの活躍を期待したい。

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このページは、宝徳 健が2018年6月 9日 05:27に書いたブログ記事です。

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