Tennis Diary この本に自己の発掘をせよ 10(皇紀弐千六百七十八年六月十八日 弐)

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 連續して違う仕事を次々とこなすのはリズムづくりが大切。かういふブログを書いたり、伝票整理などの簡単な作業をしたり。一度休憩すると再開するのが大變。休憩するならブログを書いてゐるはうがいい。あと、私の場合讀書が危險です。ずつと讀んでしまひます。特に今、讀みたい本が棚から叫んでゐます。何冊も。「なんで、讀んでくれへんねん」と。
 
 小學校六年生の時の担任は、親戚の叔父さんさんでした(母の妹の旦那)。この人はバリバリの左翼だったので、(親戚なので嫌いではないけれど)あまり、私自身がなついてゐませんでした。それにやりにくくてしかたがありません。「なんで親戚が担任なんだ」とずっと思つてゐました。きっとそんな態度が日々出ていたのでせうね。

 立派な方でした。生徒を家に集めて習字を教へたりしてゐましたから。

 最後の思ひ出は苦いものです。(書道が得意な)先生が「色紙に好きな言葉をかいてあげるから云ひなさい」とクラス全員に云ひました。私は「勝利」と書きました。

 すると、渡された色紙の文字が「敬愛」になつてゐました。今なら、「敬愛」の本當の意味を知ってゐますが、當時は、先生も知らなかったのでは(笑)?とても意味のある言葉なのでいずれこのブログで解説します。

 話を戻して。なんだっていいんです。別に色紙が欲しいわけでもないのですから。だけど、かういふのを設計主義と云ひます。相手の望みをかなへると云ひながら、自分の答えで對應する。

 親戚なので云ひませんでしたが、顔には出たでせうね~~(笑)。私だったらかういふ生徒には二枚書いて渡します。

 シリーズでこのブログに「カウンセリングの技法」を書いてゐます。「相手の 氣持ち と 行動の變容」がカウンセリングです。このやり方では子供の變容はあり得ません。

 教師が習得するマニュアルの中に「カウンセリング」はないのだらうか?

 あま、先生、特に當時の日教組バリバリ教師に私が好かれるはずもありませんね(笑)。内申書が惡くなるはずだ。

 では、偉そうな日誌を。
 3/30
 思うようにテニスができない。毎日 イライラとした日をすごす。たまらない。ボールが打てないのなら基礎トレーニングをと思うのだが、なんだか身が入らない。自己の成長を以前この日記に誓ったが、土台になるテニスがこんなふうでは、なんにもならない。第二の土台の勉強も金地のイライラから手につかない。何かいい対策はないものだろうか。学校が早くはじまることがいちばんいい。

 受験の頃はテニスができない苦しさであったが今はできる状態にあるのにできない苦しさだ。自分に勝たねばならないのはわかっているが、やはり人間だ。苦しい とてつもなく苦しい。はやくこの苦しみから逃れたい。その日のくるのをまつしかない。

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このページは、宝徳 健が2018年6月17日 10:07に書いたブログ記事です。

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