戰國策 再104(皇紀弐千六百七十八年七月二十二日 弐)

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 今日のテーマは「小国の延命策」です(20100622)。

 宋という国が出てきます。戦国時代は、周→春秋時代→戦国時代と推移します。この周の前が殷です。周の武王が殷の暴君 紂王を倒したとき、すぐれた人物であった、紂王の兄、微子啓(びしけい)を封じてつくった国が宋です。
 魏が趙を攻撃し、宋にも出兵するように要求してきました。魏・趙両国の間に立って苦慮した宋の王は、趙に使者を立てて、指示を仰ぎました。

「魏といえばなにぶんにも天下の強大国。その魏が今、我が軍に出動を強要してまいりました。応じなければ、小国の悲しさ、わが国などひとたまりもありません。といって、魏に加担して貴国を攻撃し、貴国にご迷惑をかけるのは忍びないところです。いったいどうしたものか。わが国のとるべき道を教えてください」

「よくわかった。確かに貴国の力をもってしては、魏に対抗するおとはおぼつかない。しかも、魏を助けて趙を弱体化すれば、貴国にとっても不利となることは明らかだ。さて、どうしたものであろうか。なんぞ、よい案はないかな」

「されば、貴国の城のひとつに兵をさしむけることをお許しいただきたいのですが。ただし、日数をかけて、ゆるゆると攻めますから、城兵の方々に、安心してお守りになるようにお命じください」

「わかった」

 かくて、宋は軍を動員して、国境を越えて趙の城をひとつ包囲しました。これを聞いた魏王は、喜びました。趙王も、内容を理解しています。

 宋はみごとにこの難問題を解決しました。

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このページは、宝徳 健が2018年7月21日 16:47に書いたブログ記事です。

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