福岡髙校テニス部日誌 S2(皇紀弐千六百七十八年七月二十一日)

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 長くあけてすみません。さて、リハリビリでもするか。

 さあ、昭和五十二年六月四日の一日前 六月三日です。次の日は全國総合體育大會 福岡縣大會(インターハイ最終予選)です。この大會が終はつたら、私達三年生は、部の經營權を2年生に渡します。勝つても、負けても。勝ったらあとはインターイに向けて調整を行ふだけです。

 繰り返します。私たちのテニス部には、監督もコーチもゐませんでした。髙校生だけで考へ實行して、全国大會に出場するなど、至難の業でした。部の総務・經理などもすべて自分たちでやります(といふか私とマネジャーと)。時には、辯當の手配も。自分のプレイを高める、部を統治してゐく(組織コンフリクトを解消していく)、などなど、を行いながら、部全體を、インターハイ出場といふ勝利に導いていく「リーダーシップ」が求められます。

リーダーとは、いかなる状況でもチームを勝利に導く人間

です。ここでいふ勝利とは何か。

「スタッフのポテンシャルを最大限に引き出し、スタッフの力を借りて、組織として最高のパフォーマンスとアウトプットを出す事」です。私たちの場合には、インターハイ出場を最高のフォーマンスで勝ちとること、です。

 これを髙校生の一プレイヤーに求められました。私の2年半の部活は苦しみの連續でした。だからわたしは、

インターハイに行きたい

とは一度も云ひませんでした。

インターハイに行く

でした。行けなかったら、變な表現で失礼しますが、死のうと思ってゐました。

 でないと、自分自軆がプレッシャーでつぶされてしまふからです。かういふものを監督・コーチが取り除いてくれ競技だけに集中できる今の髙校生は幸せですね。でも、幸せでした。誰にも味わへないものを手にできました。

 部の經營目的は「福岡髙校テニス部のかつての強さと傳統をもう一度取り戻す」でした。我が部は、全國制覇複数囘經驗部です。

 結果としてインターハイに出場出来ました。OBの支援など利用(失礼します)できるものはすべてしました。でも、これが私のリーダーシップ&マネジメントの限界でした。なぜインターハイで優勝するにしなかったか。目的レベルが低いのです。これについては、また追々書いてまいります。

 さあ、インターハイ予選前の最後の練習です。長井くんが書いてくれてゐます。

 確かOBの九大 山口さんが 練習参加してくださいました。心配だったんでせうね。ありがたいことです。
 6月3日(金) 快晴 長井智彦

練習
〇ストローク、ボレー、サーブ、ボレースマッシュ、ランニング(運動場3周)・・・3年
〇ストローク、ランニング・・・2年
〇玉拾い・・・1年

欠席者
1年・・・見好、いかり
2年・・・なし

ボールの数
 ストロークボール7個、クソボール 52個

感想
 今日は、三年生の事実上、最後のクラブ活動であるということもあり、練習がすごく充実しているみだいだったが、1年は試験あけということもあって、動作にしまりがなかった。ぼく自身、昨日から今日にかけて、キャプテン並びにニ、三年生の御先輩方から注意を何回受けたことか(スミマセンデシタ!!)

 しかし、昨日から今日にかけて練習中に試験中の睡眠不足(1夜づけの連続でタマランワン)がたたってか、目がしらが非常に重く感じ、体ぢゅうの力が抜け、先輩たちの注意が子守歌のように聞こえてくる時があり、そのためかタマヒロイの動作なども怠慢になってしまい、キャプテン並びに二年生(特に、藤さん、高橋さん、寺田さん、森さんetc・・・)方の恐怖の"6連発注意"(聞いた話ですが、このような先輩方の"せめ苦"を「愛のむち(無知)」というそうです)がぼくの寝ぼけ頭or寝ぼけ細胞(核、ゴルジ体、中心体etc・・・)に刺激を与え、再び僕の頭or細胞に活力を与えてくれました(しかし、昨日は眠かったなあ)。それからきょうの練習は、明日が県大会ということもあって三年生の諸先輩方に非常に気合が入っていると思った(この調子だとインターハイも行けるのでは?)。

ーそれから最後に、三年生の諸先輩方、明日の県大会には、柳川ツルミソ商業、戸畑高校などと言う"どんクサイ"学校も来ると言っていましたが、自分の出せる最大限の力をだして、前の、名前も知られていないどんクサイ田舎高校を破って、福高ある博多、いや、福高の日本、いや世界に「錦」を飾ってください。

 ぼくたち1年生も前の方で述べた"どんクサイ"高校の応援に敗けないような、これぞ福高テニス部ゾーというような素晴らしい福高だましいがこもった応援をしますので、三年の方も是非ガンバッテください。

 最後の最後にー「ヨーシ!ヤッタルワーイ!!(かけごえPARTⅡ)」 -END-

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このページは、宝徳 健が2018年7月21日 08:02に書いたブログ記事です。

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